2023年
3月24日(金)

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紺屋町かいわいに焦点 盛岡市先人記念館 第16回古町名展 奥州街道沿いで発展の歴史詳しく 所蔵の資料や商家の私蔵品などで 

2023-01-11

盛岡市先人記念館第16回盛岡の古町名展「紺屋町かいわい その2」

 盛岡市本宮の市先人記念館(久保智克館長)は、第16回盛岡の古町名展「紺屋町かいわい~その2~」を同館企画展示コーナーで開いている。盛岡市中心部を流れる中津川左岸に位置し、商人の町、経済の中心地として発展してきた紺屋町かいわい。その歴史を121点の資料で紹介している。2月12日まで。

 同展は、盛岡市内の古い地名(旧町名)に焦点を当て、町の歴史とゆかりの先人たちを紹介するシリーズ。2006年度に始まり、21年度の三戸町かいわいで一巡。第1回の紺屋町かいわい(紺屋町・鍛冶町・紙町)に再びスポットを当てた。

 同館所蔵の資料に加え、商家の私蔵品など、往時のにぎわいや町の様子を物語る貴重な資料を公開。紺屋町かいわいは、慶長年間(1596~1615)に整備された奥州街道に沿うことから商人の町として発展し、近江(現在の滋賀県)から来た近江商人たちが盛岡の経済活動を支えた。


「森八商店」の「大福帳」(森八商店蔵)など

 明治に入ると、第一国立銀行盛岡支店や盛岡信用組合(現盛岡信用金庫)などの金融機関、北上川の舟運事業を行う北上廻漕会社(ほくじょうかいそうがいしゃ)、盛岡電気株式会社(のちに東北電力岩手支店)も設立され、盛岡の経済の中心地になっていく。

 屋号「鍵屋」で呉服などを扱った豪商村井茂兵衛(1821~73)、第一国立銀行盛岡支店の支配人を務め、現在の盛岡商工会議所の前身の盛岡商法会議所を創立した尾高惇忠(1830~1901)らゆかりの人物を紹介している。

 紺屋町の町名は、中津川の清流を利用した紺屋(染物屋)が集まっていることに由来。南部紫根染研究所で伝統技術の改良に務めた藤田謙が開いた「草紫堂(そうしどう)」、米沢工業専門学校(現山形大工学部)で化学染料による最新の技術を学んだ東條代助が創業した「巴染工」などの歩みと、現在まで受け継がれている技を紹介している。

 貴重な写真資料の一つに、南部鉄器「釜定(かまさだ)」の前身である「南部名産 鐡瓶製造處(てつびんせいぞうどころ)」の写真(明治末期、釜定蔵)がある。この建物は太平洋戦争末期の1945(昭和20)年に取り壊されているため、当時の風景を伝える貴重な1枚になっている。


 草紫堂の紫根染テーブルセンター「宝相華(ほうそうげ)」(昭和時代、草紫堂蔵)=(上)=と茜染テーブルセンター「鳳凰(ほうおう)」(同)

 商家の「向半(こうはん)」に伝わる「長岡家家訓板」(長岡弘子さん蔵)や「森八商店」の商業帳簿「大福帳」(明治~昭和時代、森八商店蔵)など、普段目にすることのない資料も。紺屋町かいわいの歴史を伝えるイベント「奥州街道アンチック市」や2015年に盛岡市に寄付された「紺屋町番屋」の活用なども紹介している。

 担当した坂本志野学芸員は「商人の町、経済の中心地と発展した紺屋町かいわい。歴史を受け継ぐ人があり、いまも変わらない部分もある。観光面で注目されるなど新たな魅力も感じてもらえれば」と話している。

 午前9時から午後5時(入館は同4時半)まで。休館日は毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)と毎月最終火曜日。入館料は一般300円、高校生200円、小・中学生100円。盛岡市内に住所を有する65歳以上は無料。電話019―659―3338。



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