全文を読む
- 春の陽の下 合掌 震災から12年 惨状の記憶いまも 犠牲者への思い尽きず
-
2023-03-12
釜石祈りのパークで花を手向ける市民
本県で死者・行方不明者計6255人(関連死含む)を出した東日本大震災から12年の歳月を重ねた釜石市では、雲一つない青空が広がり、浜風が早春の木々を揺らした。流れる月日の早さにとまどいを覚えつつも、変わらぬ鎮魂の祈りを捧げる市民の姿があった。(高村明彦)
同市鵜住居駅前地区公共施設「うのすまい・トモス」では、震災犠牲者追悼碑「釜石祈りのパーク」に、午前9時から献花台が設けられた。絶えることなく遺族や関係者が足を運び、正午の時点で約300人が手を合わせた。
同市小佐野町に住む梁場さつきさん(30)は、家族4人で訪れ、自宅で逃げ遅れた祖母の冥福を祈った。
「祖母は当時87歳。元気に畑仕事をしていて、スポーツを見るのも好きだった。12年の月日は本当にあっという間。末っ子だったのでかわいがられた。ひ孫を見せてあげたかった」と思いをはせた。
同施設内の「いのちをつなぐ未来館」では、震災伝承と防災学習の資料を常設展示している。
北上市在住の佐藤章さん(62)と久子さん(62)夫妻は、東京から帰省した娘夫婦と来館。震災前、教員として釜石市に赴任していた章さんは、家族で暮らしていた鵜住居地区の惨状に心を痛めた。
「当時付き合いのあった方々から連絡をもらい、現実に起きた出来事なのかと驚いた。私たちは後からテレビで知ったが、目の当たりにした方々にとっては一生涯忘れられない光景だろう」と振り返る。
久子さんは「以前家族で暮らしていた場所も流された。内陸とこちらでは桁違いの災害。娘の同級生も犠牲になった。つらい思いを抱えながら、前向きに頑張ってらっしゃる」と思いを寄せた。
施設の運営に携わるうのすまい・トモス統括マネージャーの佐々学さんは「地域の学校などと密な連携を図りながら運営している。震災の記憶と教訓をずっと未来に残していきたい」と話していた。
前の画面に戻る