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- 撮りためた星の写真15点 盛岡市下田の阿部一さん 啄木の短歌を添えて Lachsで21日まで展示
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2023-05-03
20年ぶりに「星の写真展」を開いている阿部一さん。天文に関わる啄木短歌の色紙も展示している
盛岡市下田の元小学校長、阿部一(かつ)さん(91)の「星の写真展」が、同市芋田上武道135の10のレストランLachs(ラックス)で開かれている。阿部さんが1970年代から撮りためた星の写真に、天文が詠まれた石川啄木の短歌を色紙に書いて添えた。20年ぶりの写真展で、「啄木は多くの短歌の中で天文について詠んでいる。写真と合わせて地域の方々に楽しんでもらえればうれしい」と話している。21日まで。
阿部さんは1992年3月に教員を退職後、翌年4月から旧西根町(現八幡平市)の天文台に12年間、勤務した。展示したのは、数多くの写真から選んだ15点。「星の撮影に熱中した」という天文台時代、岩手山焼走り溶岩流付近で撮影した写真を中心に、追尾撮影で星の動きを魚眼レンズで追った作品群や望遠鏡を使って月の満ち欠けを連続して作品した神秘的な作品が並ぶ。
1976年3月5日の早朝、渋民駅前から姫神山方面を撮影した「ウエスト彗星」には、啄木短歌「はうきぼし王座につかずかの虚空(こくう)翔(かけ)る自在を喜びて去る」(1907・明治40年11月6日、小樽日報)を添えた。
阿部さんは「ほうき星(彗星)は、星座の中に入らずに大空を自由自在にかけることができて、うらやましい限りだ」と解釈。
彗星で最も有名なハレー彗星が出現したのは1910(明治43)年だが、阿部さんは「ジャーナリストでもあった啄木はハレー彗星が出現することを知っていたのではないか」と想像する。
皆既日食を撮影した写真には、「青草の床ゆはるかに天空の日の蝕(しょく)を見て我が雲雀(ひばり)病む」(明治四十一年歌稿ノート「暇ナ時」より)の一首を添えた。
阿部さんは、啄木の母校で後に代用教員として教壇に立った渋民小にも勤務。財団法人石川啄木記念館の理事を務めるなど啄木顕彰に励み、同館のボランティアも務めた。
その間、調べた啄木短歌は4218首で、うち203首に天文現象などが詠まれていたという。古里の渋民村を舞台にした「鳥影」などの小説や詩にも天文に関する表現が多くあった。
併せて調べた宮沢賢治の作品と比較すると、天文が出てくる割合はやや少ないが、「啄木が星や大空に関心を持っていたことがよく分かり、興味深い」と笑みを浮かべる。
午前11時半から午後2時。月曜定休。電話019―683―1597。
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