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内陸に沿岸の息づかいを 三陸未来シネマP2月15日も 現地の様子を動画で

2020-01-19

有坂さん(右)の解説で宮古駅周辺の映像をリアルタイムで視聴する参加者たち

 「復興の街の暮らしといまむかし」(三陸みらいシネマパートナーズの主催)は18日、盛岡市内丸のもりおか復興支援センターで開かれた。宮古市の昭和30、40年代の風物を記録した動画を視聴後、ローカルガイドが撮影する宮古駅周辺の中継を見て、まち歩きを疑似体験。同市出身者ら6人が参加し、東日本大震災津波で被災した現地の生活や経済の息づかいを感じていた。2月15日は釜石市版も開催される。参加無料、申し込み不要。

 映像は昭和30年代の宮古高の文化祭、「うすぎ山」の行楽風景、1959(昭和34)年7月の宮古信用金庫田老支店とその周辺がモノクロで流れた。昭和40年代の宮古小の運動会はカラーで子どもたちの遊戯や昼食の様子が映し出された。

 年代不詳の宮古駅周辺の様子は、小売り店で肉類の品ぞろえが紹介された。ラム肉40円など100㌘当たり数十円と表示され、参加者は当時の物価に感嘆の声。往時に思いをはせ、会話も弾んだ。

 ローカルガイドは市役所本庁舎も入居するイーストピアみやこから宮古駅へ。三陸鉄道を映し、駅前の末広町方面に繰り出した。
 参加者は、地元住民らが知る名店などが記載された、まち歩きマップ「てっぱんマップ」を手にバーチャルで市街地を散策。ガイドの向かった先々とマップを照らし合わせながら、まち歩きを疑似体験した。駅前の青果店軒先でリンゴや野菜が安価で販売されているのを見て、盛り上がる場面もあった。

 同市出身の宇都宮一子さん(78)は、現在有料駐車場になっている映画館・第二常盤座に、「当時は石原裕次郎や小林旭だった」と懐かしんでいた。赤浜出身で「小さい時は母に連れていってもらった」と笑みがこぼれた。

 大震災津波で自宅が被災し、発災直後から娘たちのいる盛岡市で暮らす。昨年病気で80歳の夫を失った。「夫の仕事で25年間盛岡で暮らした。その後宮古の家で農作業をしていたが津波に遭った。今も墓参りで盆や彼岸などに行ったり来たりしている」。

 三陸みらいシネマパートナーズ(盛岡市本宮5、もりおか復興支援しぇあハート村内)は、文化関係者でつくる任意団体。

 5年前から地元の声を反映させたマップを作成。マップは情報を更新して改訂が重ねられている。4年前から懐かしい映像を収集開始。今年度から内陸向けに今回のイベントを開催している。

 代表の有坂民夫さん(シネマ・デ・アエルプロジェクト)は「震災の記憶の風化やその防止が叫ばれている。自分たちも沿岸で活動する中、県外だけでなく内陸と沿岸の差も感じる。沿岸では暮らしを紡ぎ、なりわいがある。こうしたアプローチの仕方もあると思うので、肩ひじ張らず気軽に入り口にしてもらい、一緒にまちを歩こう」と呼び掛ける。

 次回2月15日は、午前10時から、もりおか復興支援センターで。定員十数人程度。
 問い合わせ等は電話090―8582―4940へ。



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