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しぇあハート村から巣立ち パティシエに夢前進 北日本ハイテクニカルカレッジ 水野楓さん(大船渡出身)

2020-03-10

2月の「けむし食堂」でカボチャ白玉ぜんざいを作る水野楓さん

 「けらけら笑い、むしゃむしゃ食べる、しぇあハート村!」。もりおか復興推進しぇあハート村のセミナーハウスで先月、開かれた今年度最後の「けむし食堂」。北日本ハイテクニカルクッキングカレッジ高度製菓衛生師科2年の水野楓さん(20)=大船渡市出身=は、2人の腕を合わせてハートマークを作るおなじみのポーズで「いただきます」と呼び掛けた。この春、専門学校を卒業し、2年間過ごした復興支援学生寮(シェアハウス)を巣立つ。4月からは東京都内のホテルで、プロのパティシエとして一歩を踏み出す。

 「けむし食堂」は沿岸被災地から盛岡に来た学生をはじめ、内陸避難者、地域住民らが昼食を共にして交流する地域食堂。テーブルにはボランティアや学生が手作りした空揚げや炊き込みご飯が並ぶ。この日のデザートは水野さんが提案した「カボチャ白玉ぜんざい」。男子学生も手伝い、鮮やかな黄色の白玉団子に、小豆とずんだを添えた。

 水野さんは大船渡東高を卒業し、パティシエを目指して北日本ハイテクニカルクッキングカレッジに入学。2歳年上の兄の樹羅さんが、しぇあハート村の寮生だったこともあり迷わず入寮した。

 パティシエを志したのは、かつてパティシエだった母親の靖子さん(42)の影響が大きい。母子家庭で忙しいはずなのに、家に戻るとテーブルの上には、いつも靖子さんの手作りおやつが待っていた。お気に入りは丸くて甘い揚げドーナツ。この味は忘れられない。「お菓子屋さんになりたい」。幼い頃の淡い夢は、いつしか確かな目標に変わった。

 東日本大震災の発生時は小学5年生。大地震の後、校舎から校庭に避難し「見るな」と言われたのに、怖い物見たさで津波が街を襲う瞬間を見てしまった。校庭の真ん中で恐怖と寒さに震えていた時、誰よりも早く小学校に続く坂道を駆け上がり、迎えに来てくれたのも靖子さんだった。

 黒い波は自宅の数㍍手前で止まり、かろうじて住む場所は残った。だが、靖子さんの職場を含め市街地の大部分が崩壊。しばらく住田町の祖父母の家に身を寄せた。小学校、中学校とも体育館は避難所に。しばらくすると校庭には仮設住宅が建ち、子どもが伸び伸び体を動かせる状況ではなくなった。それでも国内外から多くの支援があり、バスケットの遠征で北海道に招待されるなど楽しい思い出もできた。

 高校は、調理師資格が取得できる食物文化科を選択。中学時代はやんちゃぶりが「半端ではなかった」と言うが、高校では人が変わったように勉強も、部活も頑張った。兄と同じ陸上部で長距離に挑戦。厳しくも愛情深い顧問の先生に徹底的に鍛えられた。

 周りからは「何でもうまくこなす」と見られる。だが「決して器用ではない」。「人の何倍も何十倍も練習しなければ、上手にできるわけがない」と自分に言い聞かせ、ふらふらになるまで走った後、家の台所で製菓コンテストの練習を重ねたことも。好きなことだからこそ打ち込めた。

 お菓子は1㌘、1度の差が仕上がりを分ける。「高校で調理をやって、最後に味を見て調整するくせが付いている。この適当さが良くない」。専門学校では製菓を職にする楽しさと同時に厳しさも実感。壁にぶつかった時、耳を傾けてくれる支援員や仲間がいるしぇあハート村の暮らしは心強かったという。

「自分の意見を通すだけでなく、引かなければいけない時、譲らなければいけない時がある」。良いところだけでなく、悪いところも指摘してくれたルームメートの存在を今は「ありがたい」と思える。後輩たちにも「人との出会いや交流を大事にしてほしい」と願う。

 東京では、先に就職した兄の樹羅さん、そして靖子さんも一緒に暮らす予定。親子3人、それぞれが新しい環境で自分の夢に挑戦する。ホテルの第一線での仕事は決して甘くないと覚悟している。「憧れて入る人も多いけれど、辞める人も多い業界。自分がどこまで通用するか。たくさんの経験を積み、上を目指したい」と目を輝かせた。



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