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大衆音楽と戦争の関係研究 古関裕而の責任指弾せず 本紙寄稿者菊池清麿氏 関連著作2冊刊行 朝ドラ「エール」の背景紹介

2020-08-14

「新版評伝 古関裕而」と「昭和軍歌・軍国歌謡の歴史」(手前から)

 本紙連載の東京都の評論家菊池清麿氏(60)は、作曲家の古関裕而(1909│1989)の生涯を研究し、大衆音楽と戦争の関わりについて明らかにした。今年は、「新版評伝 古関裕而」「昭和軍歌・軍国歌謡の歴史」を刊行。太平洋戦争まで、古関は国策に主旋律を奏でつつ、戦地に赴き、銃後に待つ国民の悲哀をすくい上げた。筆者はその戦争協力を指弾せず、古関メロディーの波紋に激動の昭和を物語る。古関が主人公のNHK朝の連続テレビ小説「エール」の時代背景に深く迫っている。(鎌田大介)

 菊池氏は、宮古市出身。鳥取春陽などの評伝を書き、中山晋平、古賀政男、藤山一郎などの研究を通じ、日本の大衆音楽の系譜をたどっている。「新版評伝 古関裕而」(彩流社)は2012年刊行の初版に加筆し、「エール」放映に併せて長年の知見を提供した。

 古関の日中戦争から終戦までの活動に論評の力点を置いた。「古関裕而のロマン的な民族音楽ともいえるクラシックの作風が戦争への大衆動員を主眼に国民の精神高揚のために有効に発揮される時代が到来した」。

 昭和モダンに頭角を表し、やがて軍国の寵児へ。その過程を音楽界の近代化とともに明らかにしていく。泥沼の戦局は作曲家をスタジオから引き出し、大陸の前線へ追いやる。

 古関は、1938(昭和13)年には武漢作戦の展開に合わせて西条八十らと大陸に飛び、従軍音楽部隊として将兵を慰問した。


菊池清麿氏

 菊池氏は「兵士は人間である。その兵士一人一人の肉親は無事に生還することを祈っている。銃後の人々は戦場の修羅場を知らない。無事、生きて帰って欲しいとひたすら願うだけである。だが、無事に日本の土を踏めるのは果たして何人いるのだろうか。古関はそう思うと万感胸に迫り、絶句し『ご紹介の古関裕而です』の後、言葉が続かなかった」と書き、民衆のエレジーを聞き取る。

 「露営の歌」「暁に祈る」など日中戦争を鼓舞する軍国歌謡で大成するうち、岩手町ゆかりの高橋掬太郎の作詞に出合う。太平洋戦争開戦3日目のマレー沖海戦では英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」撃沈の高揚を伝えるべく、高橋とコンビで「英国東洋艦隊潰滅」を世に出した。「若い血潮の予科練の」で有名な「若鷲の歌」は西条八十とのコンビ。古関の調べに乗って、多くの若者が空に散った。

 1944(昭和19)年になると、敗色濃く、ついに野村俊夫作詞で「嗚呼神風特別攻撃隊」を作曲する。このレコードは終戦5カ月前に発売されたが、菊池氏の研究によると市販された形跡がないという。この頃には古関も音楽業界も疲弊し、敗戦とともに軍国の歌声は途絶えた。

 しかし、戦後復興に古関のリズムはよみがえり、オリンピックマーチなど国民の記憶に刻まれる。

 「昭和軍歌・軍国歌謡の歴史」(アルファベータブックス)には、菊池氏が収集した1929(昭和4)年から終戦までのディスコグラフィーを収録し、作詞作曲、歌唱など、戦後歌謡の立役者たちの戦争協力の実態が、データで分かる。

 菊池氏は、古関の戦争責任について、「あの頃いくら戦争に反対する気持ちがあっても一致団結するのが当時の国民であって難しい時代だった。平和国家の倫理から見れば間違ったことであっても、現代の常識で非難しにくい。しかし戦争を肯定することはできない。山田耕筰らも戦時中にあれだけ活動していながら、戦後は平気で曲を作ったという批判はあった。しかし戦後、平和になった以上は、音楽家も日本の再建のために努力したということだろう」と話している。

 「新版評伝 古関裕而」は四六判443㌻2500円、「昭和軍歌・軍国歌謡の歴史」はA5判617㌻5400円。



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