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平民宰相の最期朗詠 きょう原敬の百回忌 吉田奈良丸「驛頭の露」 都南歴史民俗資料館収蔵品からレコード 再生試みるも雑音多く 今後の調査期待

2020-11-04

「驛頭の露」のレコード

 4日は原敬の百回忌。盛岡市の都南歴史民俗資料館の収蔵品に、原敬暗殺の模様を歌った浪曲のSPレコードがあった。大正時代の浪曲師、吉田奈良丸(1879―1967)演じた「驛頭の露」。「ニッポノホン」レーベルから大正末に出たとみられる。浪曲の父と呼ばれた吉田が、平民宰相の最期を朗詠している。レコードは割れて盤面が劣化していたため、岩手大学といわて産業振興センターが協力して補修した。レーザー光線で読み取るプレーヤーで再生できたが、歌詞の内容は不明瞭だったため、今後の調査が待たれる。

 吉田は奈良県生まれ。本名は廣橋廣吉。大阪府の岸和田市立図書館のまとめによると、明治から大正にかけて浪曲の黄金期を築いた。23歳で先代の師を襲名。上京して新富座を連日、大入りにする人気を博し、レコードを吹き込んだ。1911(明治44)年にはレコードの総生産枚数67万枚のうち50万枚を売り、浪花節が日本の音楽業界の礎となった。

 大正時代には浪曲を歌謡調に改める「奈良丸くずし」がブームに。1917(大正6)年に渡米して巡業し、大統領と会見し、米国ビクターで日本人初のレコーディング。1925(大正14)年に国内で開始されたラジオに出演し、放送とレコードの相乗で浪曲人気を跳ね上げた。

 「驛頭の露」の題名には、(平民宰相原敬氏)とある。盛岡市の収集家の鎌田隆さんが郷土関係のレコードを都南歴史民俗資料館に寄贈した中にあり、盤が割れていたため、当初は再生をあきらめていた。

 原敬百回忌が近づき、関係者が内容を検分しようと考え、補修した上で野村胡堂記念館のレーザー光線のプレーヤーに掛けたところ、一度は再生に成功した。

 その後は難航したため、針式のプレーヤーで一部を再生した。丁々発止の声のうちに「東京駅」「呼べども答えず」などの歌詞を聴き取ることができたが、雑音で全体は不明だった。

 原敬記念館の田崎農巳主任学芸員は、「当時の一流の浪曲の歌い手の演目になるほど、衝撃を与えた出来事だった。それが演じられるくらい人気があったひとつの証拠だったと思う。『原敬の友情』という浪曲もあり、庶民の間にも原の存在は大きかった。原敬の友情のように原の人情や性格を匂わせる内容であれば、あるいは暗殺の現場の状況を伝えるのであれば重要」と話している。



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