2021年
4月24日(土)

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声かけて優しい地域に 宮古から移住の澤口ミネ子さん 民生委員として動くいま

2021-03-09

支え合いの大切さを語る澤口ミネ子さん

 「あなたはどこで誰と、どのようにして暮らしますか」。宮古市津軽石から移住した澤口ミネ子さん(74)=盛岡市向中野=は、2年前に発行された東日本大震災被災者手記集の中で、自身に問いかけた。それまで夫婦で築いてきた宮古での生活と自宅を奪われ、家族とともに向き合った後半生の生き方。「安全な住まいはもちろん大事だが、そこが居心地のいい場所になるには、周りの人たちとの交流が必要」と実感している。(藤澤則子)

 地震発生時は、盛岡の長女夫婦宅にいた。3歳と1歳の孫を抱え、これまで体験したことのない強い揺れに震えた。

 地元の消防団員である夫の義行さんが津波に巻き込まれたのではないかと、不安が募った。義行さんは津軽石小の避難所で支援にあたっていることが分かり、高齢の体を心配して宮古に来たミネ子さんらと数日後に盛岡に移動した。

 澤口さん夫妻は避難所など数カ所を経て、長男宅を仮住まいにしていたが、夫は親戚もいて守るべき墓がある宮古に帰ることを強く望んでいた。話し合いを重ね、高齢世帯では将来的に孤独になることも考慮し、震災から5年後に盛岡に住むことを決断した。

 共働きの長男・長女夫婦をサポートし、6人の孫の面倒を見ることで役割ができた。

 盛岡に移住して数年後に亡くなった義行さんは、もりおか復興支援センターで「復興ぞうきん」を作る活動が生きがいだった。

 元保育士の澤口さんは震災後、勤務していた織笠保育園(山田町)に設けられた避難所を訪問。家族の行方が分からない人たちが海に向かって名前を呼び続けていることなどを、後輩の保育士たちから聞いた。「過酷な体験を記録に残しておかなくては」と学んでいた放送大学大学院の修士論文としてまとめた。

 「避難所の中で地域のコミュニティーが分断される恐れがあった。津波で失われたコミュニティーの再生が必要」と痛感。自分を振り返ると、盛岡に住まいはでき家族の支援もしているが、「一人の人間として、コミュニティーはできているか」と課題も見つかった。

 民生委員を引き受けて4年目。「元気なうちは人の世話をする。高齢になったら、お世話してもらうことを受け入れる。地域が声をかけあって、優しい地域になっていけばいい。それは沿岸でも盛岡でも同じ」と語る。



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