2021年
4月23日(金)

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震災から10年 続く復興 地元に携わる仕事を 陸前高田出身の村上理緒さん 不動産業の経験積んで

2021-03-11

 東日本大震災津波から、11日で丸10年となった。沿岸被災地や内陸の各地で追悼行事が催される。多くの生命、財産、日常が奪われた、あの日。幾多の困難と苦労を経験しながら、被災した県民らは自立と再建へ歩んできた。ときに立ち止まり、後戻りしながら。絆の深さ、新たなつながりを支えに、前を向く姿もあった。この10年、それぞれの「復興」は、どの地点にあるのか。犠牲になった最愛の人への思い、いまを生きる私たちの暮らし・なりわいは、これからも続く。この先の未来へ、ともに思いをはせよう。

 盛岡市が設置する、しぇあハート村の復興支援学生寮(シェアハウス、同市本宮5)は、盛岡地域に進学した沿岸出身者らを受け入れている。被災した地元のため生きる知識や技術を身に付ける、あるいは、困難を抱えながら一歩を踏み出すため。出身地や進学先の異なる仲間たちが、さまざまな学びや経験を積む場となっている。(大崎真士)

 ■地元で役立ちたい

新築物件の点検などをする村上理緒さん

 「すぐに戻っても、できることは限られている。勉強して将来的に役に立ちたい」。

 陸前高田市矢作町出身の村上理緒さん(26)は、県立大社会福祉学部へ進学のため入寮。2017年3月に卒業後、住宅メーカーに就職して仙台へ。20年11月、東京が本社で盛岡市にある建売戸建てなどを取り扱う不動産会社に転職した。身に付けた知識や経験を、地元のために生かしたいと、研さんを積む日々を送っている。

 11年3月11日は、高田高1年生として学校で所属するバスケットボール部の練習中だった。高台のグラウンドへ避難した。津波がぎりぎりまで押し寄せるからと、さらに奥の野球部の室内練習場へ。仮の避難所になった。翌日は山を登り、中学校へ行くなど、何日か転々とした。

 それぞれ避難していた両親、四つ年下の弟、祖母、曾祖母の全員がそろうまで1週間かかった。家族全員の無事は2日目に分かっていた。しかし、家は柱と屋根を残し、すべて押し流されていた。

 「何に代えても、一番にどうすれば身を守れるか。内陸でも沿岸でも、思っていてほしい」。村上さんは、避難所を必ず確認する重要性を強調する。内陸から沿岸へ行く友人には、避難所の確認について念を押す。いまも習慣になっている。

 ■不動産需要視野に

 進学後も就職後も、月1回は地元に帰る。思い出すとつらくなることもあったが、「(自分の中で)整理を付けられた。帰るたびに新しいものがどんどんできて、考えがそちらに向かっていった」。

 大学時代のゼミに建築士の先生がいた。在宅ケアで過ごしやすい地域環境作りについて学ぶうち、進路が明確になった。「建物やまちづくりに興味を持った。震災のときも、場所や建物がなければどうにもならなかった」。

 父親が不動産関係の職場で働き、独立を考えている。「将来的には自分も地元に帰りたい、帰らなくても携わる仕事はしたい」と村上さん。前職時代に宅地建物取引士の資格を取得。リフォームの仕事も多く経験した。

 「新しいものが建って、人の動きができると、今度は住む場所が必要になる。意外に管理や物件を案内できる不動産業が高田に少ないと聞いている。不動産業は、新しい人がまちに来て不安を感じないようにしたり、子どもと一緒に暮らせる場所を案内したりできる」と声が弾む。

 住宅に限らず、商業施設用地の紹介にも、やりがいがあるはずと視野を広げる。都会から地方へ移り住みたい人がいれば、住宅を手放したいお年寄りもいる。マッチングを買って出て、身に付けたリフォームの提案もできる。夢が膨らむ。



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