2021年
9月20日(月)

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慰霊から安全祈る地に 全日空機・自衛隊機 衝突事故から50年(下) 時移ろえど思いは不変 事故の記憶風化させない

2021-07-28

身ぶり手ぶりで当時の記憶をたどる猿子町長

 「時がたつのは早い。30年たち、50年がたっても、改めて空の航空安全を願いたい」。

 ■事故を目撃した猿子町長

 「一般財団法人慰霊の森」の理事長を務める雫石町の猿子恵久町長(64)。当時は中学2年生だった。夏休み、西山中の校庭で事故を目撃したという。

 推定衝突位置から3㌔と遠くない。「ドーンという音と同時に上を見ると、キラキラと破片が散って、全日空機が落ちていく。自衛隊機はくるくると落ち、パラシュートがばっと開いた。先生が行くなと言っても、皆が自転車をこいだ」。

 父親が遺体の搬送作業を手伝った。「豪傑だった父親」が3、4日、作業に出て、家に帰ってくると、ショックで食事が取れなかった。惨状を伝え聞いた。

 「おおよそが終わった9月ころ、父親は体調を崩して、10月に亡くなった。私個人もこの50年は節目で、忘れられない記憶」。

 理事長就任後、2019年には森のしずく公園の大規模改修があった。約6千万円の事業費はすべて寄付でまかなわれた。全日空や関係自治体のほか、かつて責任を厳しく問われた自衛隊からも、有志による1千万円余りが集まった。

 「各団体、ましてや自衛隊有志の寄付もいただいて完成できたのは、理事長として感無量」と振り返る。

 「50年で仏から神になるとの伝えもある。慰霊よりも安全を願う場所に、という遺族の声も。これからますます発展していく、空の航空安全を願う場所としていきたい」と決意を新たにする。

 ■元町職員・高橋信男さん


資料に目を落とし、当時を語る高橋信男さん

 当時町職員だった高橋信男さん(79)。無線連絡や炊き出し、資材発注に奔走した。

 必要な資材は多かった。捜索場所の岩名目沢は急峻(きゅうしゅん)な山林。やぶを刈る鎌、遺体をくるむ毛布やむしろ。ひつぎも160余り必要となる。

 真夜中に盛岡や青森県、遠くは仙台市の業者にも発注し、立派な桐製のひつぎを苦心してそろえた。遺族の心情をくめば、「ベニヤと桐など、差があってはならない」からだ。

 婦人会に炊き出しを依頼し、捜索現場におにぎりを届けた。蒸し暑い安庭小はマスコミの投光器で照らされ、発動機が大きくうなっていた。

 線香をたく係がいた。臭いをごまかすためだ。「大臣が安置所に来て、地べたに頭を着けて遺族に謝った。張りつめていた」。

 翌年は、1周忌慰霊祭の準備に当たった。会場準備のための、地権者と用地交渉。自衛隊の協力も得て階段を整備した。泥地で汚れないよう、もう一人の職員と2人でむしろを敷き詰めた。

 「大変な事故だった。遺族の慰労はできずとも、心情を害さないようにという思いが全町民にあった。黙々とやるべき仕事を皆がした」と振り返る。

 50年がたついまも、「雫石の町民は心を寄せ、この事故を忘れないようにしていけたら」と願う。

 ◇しずく公園清めて待つ 立場を超えて願い一つに

 ■森のしずく公園・管理人の高橋登見男さん、アサヨさん


親子2代にわたり園地を管理する高橋登見男さん=9日、森のしずく公園慰霊堂

 森のしずく公園の近くに住む高橋登見男さん(78)と妻のアサヨさん(74)は、先代から管理人を受け継いだ。雑草が茂り、人が訪問し始める5月から、11月ころまで週に2回、主に登見男さんが除草や施設清掃に訪れる。
 息を切らし、額に汗して、550段の階段を上る。「遺族がまだ拝みに来る。草をぼうぼうにしてはおけない」との一心だ。

 アサヨさんは、全日空の社員や児童生徒が訪れれば、案内をして語り聞かせる。公園には犠牲者らを見守る六地蔵があり、夏には帽子とよだれかけを、冬にはほっかむりを新調する。

 管理を通じての交流もある。「遺族から、今年は行けないからよろしく、と電話がきたり、もう歩けなくなったという人もいたり。遺族のひ孫が掃除に来たりする。ずっと言い伝えていきたいと感じる」とアサヨさんは話す。

 大規模改修を契機に、航空安全を祈る場として親しまれるよう、樹木の伐採も進めている。うっそうとした印象が薄れ、岩手山も望めるようになった。

 登見男さんは「サクラやモミジは切っていない。春や秋に目につくようになれば。ただ、ここで事故があった事実は変わらない。公園がいいか、慰霊の森がいいか。迷いもあるが、来る人が安全に帰っていけるよう整備を続けたい」と話した。

 ■遺族・青木清さん

 「いまは遺族も全日空も自衛隊も、同じ気持ちで臨んでいると感じている。空の安全を常に祈っている」。

 静岡県富士市吉原の青木清さん(85)は、父晴夫さん(当時60歳)、母仁子さん(56)、叔母キミさん(57)らを事故で失った。

 晴夫さんの弟は先の大戦で戦死。吉原遺族会による北海道旅行に参加した、その帰途の事故だった。

 事故翌日の朝、富士市から現地に到着。ひつぎに納められた両親らと無言の対面をした。

 「まだこれから十分に生きられたはずなのに、人生が終わらせられてしまった。いまでも惜しかったなと思う」。無念は消えない。

 新型コロナ禍で断念した昨年などを除き、森のしずく公園を毎年訪れて鎮魂と空の安全を祈る。「慰霊の森」評議員も務め、長年の活動で「被害者、加害者という考えはもう捨てて、関係各位が一丸となって事故防止に努めている」と感じるようにもなった。

 今年は、50年の節目として「航空安全祈念式」が30日に開かれる。この中で、関係者がそれぞれの思いを短冊に記し、ハトを模した風船にくくられ、空に放たれる予定だ。

 青木さんは短冊に「常(とこ)しえに 空路の安らぎ 祈り居り」と記した。

 青木さんは語る。「一番平凡なこと、これ以上でもこれ以下でもない。もう呪いや恨みをいう人もいない。われわれはただひたすらに、祈るしかない」。
(川坂伊吹)



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