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夏空に祈りの風船 鎮魂と航空安全願い 全日空機雫石事故から50年 富士市とはリモートで 野菊ホールでも黙とう

2021-07-31

航空安全祈念の塔から飛び立つ鳩の風船

 1971(昭和46)年、雫石町上空で全日空機と自衛隊機が衝突し、乗客乗員162人が犠牲となった「全日空機雫石衝突事故」から、30日で50年がたった。節目の日、墜落現場付近に整備された同町西安庭の森のしずく公園(旧慰霊の森)を主会場とし、「航空安全祈念式」(主催・一般財団法人慰霊の森)が営まれた。遺族の多くが居住する静岡県富士市など、各会場をリモートでつなぎ、約260人が参加。献花・礼拝などが執り行われ、み霊の鎮魂と恒久的な空の安全を願った。50年前と同じ快晴の夏空に、遺族らの祈りを抱いた風船の白鳩が空を飛んだ。

 新型コロナまん延防止のため、同公園の式には猿子恵久雫石町長、達増知事ら地元関係者約30人が参列。遺族は富士市会場などに参加した。オンラインで各所をつなぎ、全日空、防衛省・自衛隊などの関係者も集った。

 事故発生時刻と重なる午後2時過ぎ、犠牲者全員の氏名が刻まれた慰霊碑の前で、1分間の黙とうが捧げられた。それぞれが白い菊を献花し、静かに手を合わせた。献花・礼拝は富士市会場ほかでも行われ、哀悼と冥福が祈られた。

 式中、代表者らがあいさつ。遺族の青木清さん(85)は、両親や叔母を事故で亡くした。「あれから50年、富士市、雫石町、関係機関の皆さまと森のしずく公園で、犠牲になった霊に対し冥福を祈ってきた。大切な同胞(はらから)を失った悲しみは、たとえ何十年を経ても、命枯れるまで消えることは絶対にない。二度とこのような悲しい事故が起きないよう、これからも事故の記憶と教訓を若い世代に伝え続けていきたい」と語った


慰霊碑の前で献花・礼拝する関係者ら

 同法人理事長の猿子町長は、2019年の園地の大規模改修や、慰霊の森からの改称に触れ、「これからも慰霊とともに、事故を風化させることなく次の世代へと継承し、航空安全を希求し、多くの方々に園地を訪れていただけるよう取り組んでいきたい」と決意表明。地域住民や関係機関による清掃活動など、園地維持への協力にも感謝した。

 犠牲者のうち125人が富士市民。事故を機に、04年からは雫石との少年交流事業が続いている。小長井義正市長は「町と市など、さまざまな事業を通じ、悲惨な事故の記憶を風化させず若い世代に語り継ぐことは私たちの責務であり、空の事故の根絶は在天のみ霊に報いるための、永遠の誓いでもある。この50年の節目の日に、改めて空の永遠の安全が一層確保され、二度と悲惨な事故が起きないことを心から願う」と語った。

 式の終わりには、19年の大規模改修で建て替えられた「航空安全祈念の塔」のもとから、50羽の鳩の風船が飛び立った。参列者らは塔の正面に立ち、富士市に続く空を見上げた。風船には雫石町と富士市の交流児童や、遺族らによるメッセージが取り付けられた。


黙とうを捧げる参列者=野菊ホール

 雫石町中央公民館の野菊ホール(同町上曽根田)では、森のしずく公園からのライブ配信によって56人が航空祈念式に参列した。

 参列者は、慰霊の森のあゆみや犠牲者名簿が載ったパンフレットに目を落とし、静かに式典開始時刻を待った。午後2時、式典が開始。スクリーンには同公園の式典の様子が流れ、ホールでも息を合わせて黙とうを捧げた。哀悼の念を胸に、終始スクリーンを見詰めた。式典終了後には、ホールでも献花が行われた。

 参列した町消防団後援会の堀合一男会長(70)は「犠牲者の中には子どももいて、眠っているような顔だったと聞いた。その子がいまごろ、立派な大人になって家族をつくるくらいの歳だと考えると心が痛む。この事故は風化させないよう語り継いでいく」と語った。



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