2021年
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東北振興理念唱える漢詩が盛岡に 渋沢栄一が学問の師と仰ぐ 岩手経済の近代化に尽くす 第一国立銀行 初代盛岡支店長

2021-09-02

澤田さんが所有する尾高の書

 渋沢栄一の縁者の尾高惇忠(1830―1901)の書が盛岡市に残されている。尾高は渋沢の義兄にあたり、NHK大河ドラマ「青天を衝け」に登場する。渋沢が頭取時代の第一国立銀行で初代盛岡支店長となり、岩手経済の近代化に尽くした。書は盛岡市の澤田昭博さんが所有している。秋田県の荒川鉱山の発展をたたえ、実業家の目で経営を評定し、雄渾な漢詩に託した。

 尾高は1830(天保元)年生まれ。渋沢とともに幕末維新に立身し、財界を明治の開化に導いた。埼玉県の富岡製糸場長などを務め、渋沢の東北振興策の主柱として、1877(明治10)年に盛岡へ。第一国立銀行支店長として10年にわたり地元経済の近代化にあたった。

 書は瀬川安五郎経営の荒川鉱山に勤務する医師、原勝外のために尾高が書いた。鉱山の殷賑(いんしん)を詠みつつ、渋沢とともに東北の振興を唱えた理念を七言絶句にしたためた。尾高は盛岡商工会議所の前身に当たる盛岡商法会議所の中心となり、尾高を通じて渋沢の理念も浸透していった。

 漢詩には「随意就工勝課程 鍰歌鎚闇好調聲 幾千男婦無餘念 不期體認主人情」「明治十三年第二月一覧瀬川君稼業 荒川銅山有盛而作為該所醫員 原君録之 監香逸人 尾高惇忠」とある。

 澤田さんは「富岡製糸場が世界遺産登録となり、注目された2014年。盛岡先人記念館では、東北電力あたりにできた国立銀行盛岡支店長としてやって来た尾高惇忠が、盛岡第九十国立銀行の開業や盛岡商法会議所設立などに尽力したことが強調された。『もりおかの残像』でも、文明堂の先代佐々木仙助さんが、旧藩時代からの大福帳による、のれん商法しか知らない商人に、初めて洋式簿記を教えたこと。『岩手県藍製造用法』を刊行して、中津川で藍染法を指導したことなど紹介した」と尾高を高く評価する。

 「渋沢が7歳のとき、10歳年上の尾高が開いた塾で教えを受け、生涯、学問の師と仰いでいる。病気の最晩年は、東京深川にある渋沢の別荘に身を寄せ、72歳で長逝した。その墓碑銘に渋沢栄一が『…学あり行あり ああ君子の器…』と撰し、かつ揮毫(きごう)している。埼玉でもっと知りたい人物の一人として顕彰されているいま、尾高の筆跡が岩手に残されている意味は大きい」と、その意義を強調している。



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