2021年
9月20日(月)

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いまも生徒ら励ます稲造の書 盛岡農高 校長室に「君子不器」 広い視野、才能を持てと

2021-09-03

盛岡農高の校長室に飾られている新渡戸稲造書「君子不器」と畠山校長

 滝沢市砂込の盛岡農高(畠山一弘校長、生徒455人)の校長室に、盛岡市出身の教育者で農学博士、国際人の新渡戸稲造(1862―1933)の書「君子不器(くんしうつわならず)」が掲げられている。新渡戸が、札幌農学校(現北海道大)の後輩で、県立農学校・盛岡農学校(現盛岡農高)の校長を務めていた藤根吉春(1865―1941)のために揮毫(きごう)したといわれる書。一つにとどまらずに広い視野、才能を持てという意味があり、創立から140年余に多彩な人材を輩出してきた同校の生徒、教職員らをいまも励ましている。

 新渡戸と藤根は、いずれも札幌農学校に学び、台湾総督府技師として台湾の農業振興に尽力するなど農業、教育を通じて深い結び付きがある。

 「君子不器」には、「稲造」の署名があり、揮毫した年月日などは記されていないが、藤根の在任期間は1915(大正4)年11月12日から31(昭和6)年12月29日まで。同校によると、新渡戸は14(大正3)年に来校。生徒に対して講演した記録があるが、「君子―」はこのあとの藤根校長時代に揮毫されたと伝えられる。

 どのタイミングで書かれたのかは不明だが、藤根校長は新渡戸が31(昭和6)年に県内を回った際に付き添うなど、校長時代に何度か同行しており、14年以降に来校している可能性もあるという。


県立盛岡農学校(現盛岡農高)校長時代の藤根吉春(同校提供)

 畠山校長は「農業を基盤に広い視野を持つこと、人格を形成していくことの大切さを伝えてくれているように思う」と受け止める。

 この書は、同校記念誌などで紹介されているが、学外ではあまり知られておらず、「盛農の長い歴史の中にこのような書があること、機会を見て生徒たちにも紹介していきたい」と話す。

 同校は1879(明治12)年に獣医学校とし開学し、県立農学校、盛岡農学校時代などを経て、1966(昭和41)年に現在地の滝沢市に移転した。盛岡一高(1880年設立)より1年早く、県内の高校では最も長い歴史がある。

 生徒から「ブルドック」の異名で恐れられたという藤根は、台湾総督府農事試験場長として台湾の青年たちの農業教育に尽力。当時の岩手県知事・大津麟平に勧誘され、同校長となった。

 同校の創立100周年記念誌によると、藤根校長は、修身の授業で新渡戸ら郷土の先輩についてよく話していたという。

 郷土発展のため、各界にわたって指導的立場に立たなければならないという教育方針を持ち、在任時の卒業生は農業経営のほか幅広い分野で活躍。1921(大正10)年卒業生に、県議会議長を務めた画家の橋本八百二もいる。

 新渡戸基金の藤井茂理事長は「台湾で戦前に銅像が建てられた岩手県人3人のうちの一人が藤根吉春。新渡戸との関わりを通じて藤根の功績を知ってもらい、先輩たちの志や活躍が在校生の誇りになればいい」と願っている。



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