2021年
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信条は「自分の言葉で」 滝沢市の小菅白藤さん 第4句集「岩手嶺」発刊 自選した08~20年の545句を収録

2021-09-06

 句集「岩手嶺」を刊行した小菅白藤さん

 滝沢市鵜飼の小菅白藤(はくとう、本名・勉)さん(91)は、第4句集「岩手嶺(いわてね)」を発刊した。2008年から20年に作った句の中から545句を自選して収録。10代半ばで俳句に出合い、90の坂を越えたいまも、「自分の目を、心を通して、自分の言葉で表現する」が信条。「人まねではない、自分の句を作りたい」と励んでいる。

 自身の句集は、第3句集「暖冬」(07年)以来14年ぶり。10年ほど前から家族の見守りや家事全般を担うようになったが、この間に句を書き留めたノートは20冊以上に。すべてを読み返し、「なるべく(読む人に)伝わりやすいもの」を収録句として選び出した。

 13年間の俳句を年ごとに収録。08年の「ほんものの春泥ここが渋民村」に始まり、「金髪の若者のごと福寿草」など作者の新鮮な目が生きる。

 69句を収めた11年の句には「梅ひらく津波のかたちそのままに」など、東日本大震災後の沿岸を見詰めた句もある。

 令和になって初めての新年を迎えた20年の作品。「なにもかもはらはら令和の年明くる」などコロナ禍に落ち着かない状況を詠み込みながら、「卒寿にはたどりついたよ放屁虫」と90歳を迎えた自身を目先を変えて捉えた1句もある。

 小菅さんは1930(昭和5)年、北上市生まれ。45年、新聞への俳句の投稿がきっかけで、「八戸小唄」を作詞した俳人で新聞人の法師浜桜白に師事。加藤楸邨主宰の「寒雷」を経て、俳誌「草笛」「陸」「樹氷」などで活動。県俳句連盟会長を2期、県現代俳句協会会長を5期務め、現・同連盟顧問、同協会名誉会長。

 俳句に本格的に取り組むようになったのは、58歳で岩手県警察を退職してから。東北6県で開催される俳句大会の選者も引き受けていたが、10年ほど前に妻のトシ子さん(90)の体調が不安定になり、在宅時は見守りが必要なことから、ほとんどの大会の選者を辞した。

 小菅さん自身も俳句の取材メモを取っていた際に転倒するなど、80代に入って体力が衰え、句作のペースも落ちたと痛感していた。

 第4句集の刊行も半ば諦めていたというが、長男らの勧めで一念発起し、約1年かけて選句・編集した。タイトルの「岩手嶺」は、岩手の象徴ともいえる岩手山の雄姿を「常時目にしながらの生活の有り難さ」に迷わず付けたという。

 敬愛する俳人の金子兜太(1919~2018)とは、今年60回を迎えた平泉芭蕉祭全国俳句大会の第1回選者として同氏が平泉を訪れた際に知り合い、手紙を交わすようになった。本句集でも「あたたかや永久に兜太の手やはらか」(18年)、「兜太亡きあとの秩父の蟇(ひきがえる)」(19年)としのんでいる。

 小菅さんは「98歳まで衰えず、新鮮な俳句を作り続けた金子さんには驚かされる。年齢を重ねるとどうしても感性が鈍ってくるが、新鮮な気持ちを忘れずにいたい」と話す。

 句集「岩手嶺」は、四六判、211㌻。非売品。



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