2021年
11月27日(土)

全文を読む

記者の経験が政治家への土台に 原敬100回忌特別企画展・前編「疾風怒濤の前半生」 外務官僚時代までを紹介 記念館で来月10日まで

2021-09-28

「七尺手鎗(やり) 銘『山城守百國入道一虎』」(手前)、「原家家宝記」(奥左側)など原家に関わる資料

 原敬記念館(盛岡市本宮4の38の25)で、原敬100回忌特別企画展・前編「疾風怒濤の前半生」が開かれている。2020年の100回忌、21年の没後100年を記念し、盛岡市出身で内閣総理大臣を務めた原敬(1856~1921)の業績と生涯を前後編に分けて紹介する。10月10日まで。後編「政界への雄飛」は10月30日から来年1月23日まで開催する。

 前半では、生い立ちから外務官僚として活躍する40歳ころまでの波乱万丈の前半生を、初公開を含む85件114点の資料とともに紹介。4章構成で、序章では原の歴史的評価について、1940年代から2000年代までに発表された主な研究書を示して振り返る。研究者の間で否定的に見られた時期もあった原だが、近年は再評価も進んでいる。

 第1章では、もとは近江の戦国大名・浅井家の一族だった原家の来歴から原の生い立ち、戊辰戦争後の原家没落までをたどる。「藤原氏浅井 家系図」や「原家系図草稿」、原家の初代平兵衛が盛岡藩士となったことを示す「原平兵衛 宛行状(あてがいじょう)」はいずれも初公開。

 原家の没落時、原(幼名・健次郎)は十二歳。戊辰戦争敗戦後の厳しい状況にも、「あぁ世の中は分からぬものだ。人生浮沈、ヨシ、この家運、挽回してみせる」と弟に語るという、前向きな姿勢も伝わっている。

 原家にまつわる資料は、蔵に収められていた品を記した「原家家宝記」やその一つ「七尺手鎗(やり) 銘『山城守百國入道一虎』」、第15代盛岡藩主南部利剛が原邸を訪れた際の記録なども見られる。


原と師・陸奥宗光との交流の伝わる品々も

 第2章で紹介される青年時代も波乱続き。十五歳で上京したが、実家が盗難に遭い、学費の仕送りが途絶え、その後フランス人宣教師の神学校で働きながら学び、兄からの学費援助を受けて、司法省法学校(現東京大法学部)に合格した。しかし、寮の食事の改善を訴える学生運動に関わったとして放校処分となる。

 司法省法学校時代の同級生と撮った写真も展示。「法学校時代断片 無風流観梅記」は原が法学校時代の出来事をユーモア交じりに記したもので、原の人柄も伝わってくる。

 第3章は、放校処分後に新聞記者を経て外務省に入り、外交官として活躍するまで。記者時代に北海道、東北、関東の状況を調べて連載した「海内周遊日記」の取材ノートも展示。この経験が、のちに政治家として活動する土台になったという。

 外交官時代、天津領事を務めていた原に清国の実力者・李鴻章がうっかり機密文書を見せてしまったという「原敬日記」の記述など、原の手腕が伺える逸話も。パリ公使館時代の仏語ノートや、当時購入したおしゃれな置時計も見られる。

 第4章では、フランスからの帰国後に転任した農商務省での試練、農商務大臣に就任した陸奥宗光との師弟関係、外務省復帰、外務省を辞して大阪毎日新聞社の編集総理となるまでを紹介。

 原が長年、上司として師として慕ってきた陸奥と最後の会話をしたのは、大阪行きの直前。病床の陸奥と原の、互いに別れを惜しむ様子が、原敬日記に記されている。原が遺族から譲られた陸奥の遺品の懐中時計も展示している。

 同館主任学芸員の田﨑農巳さんは「浮き沈みの激しい中で、原さんは挫折からもすぐに立ち上がって不屈の精神で向き合っていく。そこで得られた人間力が大きな力になっていくと分かる」と、原の前半生を解説。

 「逆境を力にしていくという点は、見る人も親近感が湧くのでは。いまはつらい時代だが、自分に何ができるか、何をしようかという姿勢はヒントになるかもしれない。当館は若い人の来館は多くないが、若い人にもぜひ見てもらえたら」と期待した。

 午前9時から午後5時まで。入館料は一般200円、小中学生50円。30人以上で団体割引あり。月曜休館。



前の画面に戻る

過去のトピックス