全文を読む
- 今夏からの全国行脚の旅 演奏曲は1千曲超え 生伴奏で歌う楽しさ伝える 歌わない流し ポールふじむらさん
-
2022-06-04
全国行脚を計画するポールふじむらこと藤村洋さん
盛岡市内の居酒屋やバーで〝歌わない流し〟として客を楽しませているポールふじむらこと、藤村洋さん(64)=盛岡市本町通=は今夏から、「日本縦断流しの旅」と名付けた全国行脚を計画している。アイバニーズの赤いガットギターをお供に、生伴奏で歌う楽しさの伝道師として新たな出会いを求める。
藤村さんは、盛岡市本町通に生まれ、仁王小、下小路中、盛岡一高を経て、岩手大工学部(現理工学部)へと進学。当時先端の情報工学を学んだ。藤村さんいわく「盛岡のシティーボーイ」。
小3の頃、学校公開の演奏会でハーモニカを吹き、担任から称賛されたことが印象に残っているという。
一方、合唱の練習では別の教諭から、「全体が乱れるから歌わないでほしい」と直言されたことも。「そのせいで歌わない流しになったのかな」と小首をかしげる藤村さん。
当時から足の速さに秀でて、中学では陸上部、高校ではラグビー部で汗を流した。
ギターとの出合いは中学時代。同級生のギター演奏に憧れ、高校合格のお祝いにフォークギターを買ってもらった。フォーセインツの「小さな日記」を皮切りに、吉田拓郎やチューリップをまねて、ギターの腕を磨いた。
高校の文化祭では、その日のための限定バンド「レインコーツ」をクラスメートと組み、雨がっぱを着てライブした。
大学卒業後は、盛岡市内の情報システム会社に就職。システムエンジニアとして昼夜を問わず働いた。社内の親睦パーティーではダンスの伴奏で皆を盛りあげたという。
流しの活動は一冊の本との出合いから。50代半ばで定年後を意識し始めた頃、歌手のパリなかやまさんの著書「流しの仕事術」を読んだ。
「好きなことを仕事にするためにはどうしたらよいかがテーマだった。退職後は、音楽をやっていきたいと思った。流しをしているなかやまさんに直接会いに行き、ノウハウを知った」。
はしご酒が趣味だった藤村さんは、なじみの飲食店に声を掛け、2015年から流し活動をスタート。活動名はビートルズのポール・マッカートニーにあやかり、ポールふじむらに。
特色は自らは伴奏に徹し、お客さんに歌ってもらうこと。「盛岡での流しは、絶滅していた。伴奏に特化した流しは全国にもいないのでは」と胸を張る。
演奏曲は、往年の名曲から、現在人気のあいみょん、米津玄師まで、1千曲を超える。歌詞カードの代わりにタブレット端末を持参し、多様なリクエストに応じている。流しのイメージとタブレットのギャップに驚く客もいるという。
藤村さんは「いまは人間がカラオケの機械に合わせて歌うのが当たり前になった。生伴奏は脱カラオケがテーマ。歌う人に合わせて弾いてあげたい」とポリシーを明かした。
今年の夏から、軽ワゴン車で日本各地の繁華街を訪ね歩く予定。藤村さんは「コロナ禍で、お店は寂しくなった。出張流しの経験もあるので、全国各地で試してみたい。学生時代のバンド仲間にも会って、生存確認しなければ」とにっこり。夢の旅路に心をはせていた。
前の画面に戻る