■ 〈特集盛岡ブランドって何だろう〉座談会 誇れるものを持ちたい
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座談会出席者
山内光介氏
一級建築士(県まちづくりアドバイザ
ー)
中野正紀氏
中野製麺社長
南幅直実氏
NPOいわて芸術文化技術共育研究所
理事長
(司会 関口厚光編集局長)
盛岡市は1月に「盛岡ブランド宣言」を発表し、地域全体のブランド化に乗り出す。特産品はもちろん、風土、芸術文化、街並み、市民協働など盛岡が全国に誇るべき特性に磨きをかけて情報発信するとしている。ブランドづくりの過程で市民のまちづくりに対する関心や具体的な行動を引き出す効果も期待しているようだ。10日には盛岡市と玉山村が合併し、姫神山や石川啄木、岩洞湖といった玉山村の地域資源も新たな盛岡の魅力として加わるが、一方で地域のブランド化は本当に有効なのか、弊害はないのかという疑問もある。この取り組みのタイミングをとらえてぜひ育ててほしいシーズもある。第一線で活躍する3人に地域ブランド戦略を語ってもらった。
関口 きょうはお話をうかがうのを楽しみにしてやってきました。皆さんが日々どんなことを考えて活動されているのかをお聞きしながら、盛岡ブランドが本当に有効なものになるよう方向性が見えてくればと思います。
初めにブランドについて共通認識を持ちたいのですが、南幅さん、地域ブランドづくりに携わっている立場から簡単にレクチャーしていただけませんか。
■ブランドって何なの
南幅 ブランドで一番分かりやすいものは商標を取ったりすることで、他の商品にはない高い品質のことをブランドプレミアムと呼びます。これを構築することがブランディング、つまりブランド戦略の目的です。ブランドプレミアムとは、分かりやすく言うと「差別的優位性」という言葉になります。ほかのものと違うということなんですが、地域ブランドで一番大事なことは物語性。その土地の歴史であるとか風土であるとか、技術だとか、そういうものをただ「守る」ということだけではなくて、そこに新しい何かをプラスアルファしていくことを大事にしています。
消費者というのは、ずっと同じ趣向で生きているのではなくて、水が流れるようにどんどん新しい方向に流れていきます。けれども、生活の根底には、土地の風土とか歴史とかがあり、そういった中で日々の生活が営まれているわけです。
ブランドづくりでは、その辺りを折り込んでいって、いつまでも同じものを守るだけではなく、新しいもの、新鮮なものを消費者に提供していくことが、非常に大事になってきます。
関口 それを「戦略」と名付けているわけですが、戦略と名付けると、どういうふうに変わってくるのですか。
南幅 消費者に対して戦略を組み立てるときには、大きく3つの流れがあります。
まず一つは当たり前のように認知していただく、知っていただく。そのために商標やシンボルマークを使っていくというような、視覚に訴えていくことが大事です。そうしなければ、ブランド化したものについて、いちいち説明しなければならなくなります。
説明では、ブランドというものの統一された概念、コンセプトがぱっと浮かんでこない。例えば「メルセデス・ベンツ」というと、ぱっとベンツのマークが浮かんできますよね。ベンツという車は、非常に頑丈にできていて、スムーズに発進ができてなどと説明しなくても、まずイメージがポンと出てくる。そういう方法で知ってもらうというのも大事です。
それから「守る」ということです。宮澤賢治のイメージというと、だいたい皆さん思い当たると思います。5歳の賢治、20歳の賢治、詩を書いた賢治、童話を書いた賢治もいる。でも、どれも宮澤賢治なんだという一つのイメージがある。それを守って、その中で消費者に知ってもらうということも大事です。それができて初めて消費者が安心し、納得し、理解して使っていく。いろいろな賢治のイメージがあると困るわけですよ。
これらの流れを、どういうふうにやっていくかがブランド戦略です。
関口 守り、知ってもらい、使ってもらう。それを今度は地域でやろうということですね。
南幅 地域ブランドは、わたしが以前、やっていたようなアパレル・ファッションの明確なブランドとは違っていて、かなり高度で多角的な要素で考えていかなければならないと思います。例えば、アパレルの場合は、これはこういうファッションなの、ブランドなのといえば分かるんです。
しかし、地域ブランドとなると、地域の文化とか風土とか、歴史であるとか、そういったその地域の持つイメージを高めて、その地域から生まれた商品やサービスを地域ブランドとして確立していく。この2つを同時に行っていくことが地域ブランド化です。物やサービスそのものか、そこの地域のイメージなのか、どちらを先に出していくかということも考えなければいけない。
それは地域によって違うんですが、一番分かりやすいのは先に商品ありきで商品を出していく方法。後から、背景、ストーリーとして歴史、風土、文化など蘊蓄(うんちく)を出していくというのがベーシックな地域ブランドの流れだと思います。
そして、どういった形でそのブランドを守っていくかということで、シンボル化が図られ、マークであるとかブランド認証という方法で制限を付けていく。そういうやり方が、地域ブランドの今までのやり方です。
ところが、盛岡ブランドはちょっと違っていて、後でお話しますが良い意味で特異な例で、ほかに例がないんです。
関口 なかなか理解しにくいところもあると思いますが、中野さん質問ありませんか。
■動いているからこそブランドになるのでは
中野 いや、ごもっともと思います。が、定義はいいんですが、逆の方向でブランドってできないのかと。例えば、マークがあったりするのでなく、まち全体が何かで動いているから、ブランドということにはなり得ないでしょうか。
わたしの商売は麺(めん)屋ですので、当然、若い時に「盛岡冷麺」を全国のブランドにしたいと思いました。盛岡じゃじゃ麺もブランド化したいと。当時は麺といえば「わんこそば」、それがブランドだった。
しかし、観光客の方が「あ〜苦しい、もう二度と食べなくていい」と言っているのを聞いたんです。これは大事件が起きると思った。二度と食べなくていいものはいつかなくなるなと思ったんですよ。25年前に。それで、いろいろな方々が「冷麺はうまい」というので、何かできないのかといろいろやってきました。そして、ようやく最近、日の目が出てきそうな気配です。皆さんはブランドになってきていると言いますが、わたしはまだまだだと思っています。
仙台市は冷風麺、冷やし中華の発祥の地だという話がありますが、地域の人が並んでまで食べるような店があるのか、本当にしょっちゅう食べているのかというとそうでもない。
ブランドは方法論があってどうのというのではなくて、地域の人がこよなく愛するものがブランドになっていく。そうあってほしいと思います。
■材木町ブランドはどうしてできた
関口 山内さんが材木町のまちをデザインするとき、どういうことをお考えになったのですか。
山内 材木町の街路整備が実際にスタートしたのは新幹線開通の後です。新幹線開通に合わせて、観光客誘致というテーマがあったんだと思います。新幹線ができるということで、北上川の護岸工事があり、その延長で材木町も整備しようと。
旭橋と夕顔瀬の間の護岸工事を、まず旧建設省がスタートさせようとして、材木町の通りも一つ考えてみましょうというのが最初だった。当時のキャッチフレーズが単純なんですけどね、「親しみと潤いのあるまち」。そもそもシンプルなんですよ。盛岡市の計画の内容を見ますと、シンプルさがない。すごく多様なものを入れている。的が絞れなくなるのではないかなと思いますね。盛岡のナショナリティーみたいなものを語るときには、もう少しシンプルにいかないと。意外とこれはブランドダウンというか、計画倒れということはないでしょうが…。キーワードというのは時代が変わると、結構、変わっていくものなんです。
関口 材木町は最初から「宮澤賢治」というテーマがあったわけではないのですか?
山内 いや、そうじゃないんですよ。初めはなかった。コミュニティー道路というのは人と車が共存する。車の方が人に合わせる道路ですから、技術的な手法として、ストリート・ファニチャーを造るとかいろいろな計画があった。その中の一環として物語性をつくったのが「賢治」ですね。それが、盛岡では有名な全国区の商店街になった。そういう意味では成功したと思いますね。ですから今さら、それを改めて発信するって言われても、どうなんだろうと思いますよね。
関口 既に発信しているのに、と抵抗感みたいなものがあるんですね。
中野 材木町の整備は今から何年前ですか?
山内 昭和62(1987)年ですね。確か18年ぐらい前です。実際スタートするのに7、8年かかりましたからね。
関口 もともとは「光源社」というのがあって、賢治と非常に深いつながりがあったということで、物語性のある銅像などが入ってきたわけですね。もう一つは「よ市」という取り組みですか。
山内 よ市は、それこそ関東辺りでも参考にした夜市がある。(つづく)
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