■ 〈特集盛岡ブランドって何だろう〉座談会 盛岡って本当にいい街?
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■よ市をまねたアンチック市
中野 当時ですね、わたしは紺屋町なんですが、材木町がうらやましかった。道路がきれいになって、観光客が歩いているし。町内の方たちと酒を飲みながら話したんですよ。「盛岡市の観光案内には紺屋町の方が多いぞ、もったいないよな」と。当時、諸先輩5人と紺屋町に人を呼んでくる会だったか、紺屋町を考える会だったかを作った。
最初は何のデザインがいいかも分からず、ガス灯があればいいんじゃないかと話したりしまして、僕は行けなかったんですが、長崎の「ガス灯通り」まで行ってきたんですよ。で、行ってみたら1基に500万円かかるとか言われて、できるわけないじゃないかと。それでも何かないかということで始めたのが「アンティーク市」なんですよ。
お金はかけられないし、まさか、よ市のまねもできないしなと言って、亡くなった馬場勝彦さんや市役所の方に知恵を貸してよと頼みました。当時25、26歳だった。
関口 フリーマーケットの走りですよね。今はどこでもやっていて、人が集まってきていますが。
中野 紺屋町に青年会がありましてね、そのメンバーがチラシを配り、近所の方にお願いして歩いた。みんな日曜は店を閉めてしまうので、その日だけは店を開けてくれと頼んだ。オープンの日に、車が通れないほど人が集まってくれた時は感動しました。そのあとですね、民間の古道具屋さんや手作りの店とかが入ってきた。最初は大変でしたよ。古道具屋さんに行って、なんとか出店してくれませんかと頼み込んだ。山内さんが手掛けた、盛岡らしさの中に斬新さがあるストリートに刺激され、川向こうの紺屋町で何かやろうと取り組んだんです。
関口 地域ブランドへの取り組みというのは、いつの時代もやってきたことなんですよね。当時はそう呼ばれていなかっただけで。どうですか南幅さん、今の中野さん、山内さんお二人の話をお聞きになって。
南幅 わたしも紺屋町にも行きますし、材木町にもよく行きます。同じ盛岡の中なのに、それぞれ違う顔がある。まちの中で楽しめるというのが、盛岡独特のところ。消費者としても非常に楽しめるまちだなと思います。
関口 現在は遠野市の地域ブランドの作成にかかわっていらっしゃるんですよね?
南幅 ええ。進行中なので、お話はあまりできませんが。中小企業庁の委託事業で日本商工会議所と全国商工会連合会が募集したJAPANブランド育成支援事業に本県では唯一、遠野が採択されました。そこで、地域ブランドの確立を目指しています。
山内 地域ブランドというのは、全国的な流れなんですか?
南幅 ええ。
山内 わたしは逆に、盛岡は、そういうものから一歩下がってですね、別の何かを考えた方が盛岡らしいことができると思うんですよね。
南幅 盛岡でやっているのは、一般的な地域ブランドの戦略とは全く違っているんですよ。先ほどの地域の文化、風土などと商品の組み合わせでつくり上げていくというのではない。地域ブランドというよりも盛岡の全体のイメージアップ戦略じゃないかと思っています。
南部鉄器と宮澤賢治と石川啄木と、その関連性はどうなっているのかというと、それは全くばらばらなんですが、盛岡ブランドの中にはそれが全部入ってしまっている。一つをシンボライズすることでシンボルマークを作り、その中でやっていきましょうと言っても無理な話です。
たとえば紺屋町や材木町みたいに、いろいろなまちが盛岡にはある。それが盛岡なんだよという、そういうイメージアップ戦略なんじゃないかなって思っています。
いろいろなマーケティングやブランドの専門家の方にもお聞きしてみたんですけれども、今の盛岡のようなブランド戦略をしているところはちょっとほかにはなくて、異例だと思います。
■このままだと盛岡は取り残される
中野 わたしは、仕事で、いろいろなまちに行きます。確かに盛岡よりも頑張らなければならないまちはありますが、盛岡よりも素晴らしいまちがたくさんあるんですね。何か、このままだと盛岡が取り残されるんじゃないかって思うような、はっとすることが多いんですよ。
盛岡の位置づけ、取り組みがどこまで進んでいるのか、全国的にいえばどうなのか。本当のところは全く分からないわけですよね。ただ、目で見たり、感じたりしたもので、あそこはいいものがあるのにもったいないなと話しているわけです。
栃木市は街道沿いにきれいな街並みがきちっと残されているんです。ところが、うまく売れていない。これでいいのかなって思うんですよね。盛岡も本当にいいまちかなと。確かに素晴らしいところはあるけれども、本当に日本一住みたいまちかって。マンションだらけになっても果たしてそうなのかと。山内さんは世界的なまちを、たくさんご覧になっているでしょう。
山内 世界的な話ではないんですが、県北に新幹線の停車駅がありますよね。どこの駅とは言いませんけれども、日本で一番、乗降客が少ない。ワースト1なんです。そこの商店街でコンサルティングをずっとやってきたんですが、この際だからワースト1を守りましょう、下手にワースト2にならないで、ワースト1をやりましょうと話しています。芸能人を呼んで、誰が一番、人が集まるかのコンテストをやってみようとか。そういう話題性で選んだほうがいいなと。
人的な話題を作った方が、わたしは盛岡らしいブランドになるんじゃないかと思う。商品というのも大事ですが、商品というのは地場産品として昔からあるもので意識的に加工してPRすることもないんじゃないか。インターネットの時代で、消費者が調べようと思えば調べられるわけです。
人にとっては、発見できなかったものを、自分なりに探していく旅とか、時空を超えていくようなものが楽しみなのでは。カタログ、メニューのように盛岡を見せるのはどうかなと思いますね。
関口 最初にブランドに取り組んだのはイギリスだそうです。大阪市立大の橋爪紳也先生が講演の中で紹介しているんですが、「クール・ブリテン」というイメージを世界に広めた。「韓流」も韓国のブランド戦略の一つ。シンガポールは観光地としてのブランドを定着させるために相当、お金をかけた。
たとえば、かつてのシンガポールは夜、店が閉まって電気が消え、歩けなかった。そこで行政が強制的に明かりをつけさせ、夜の観光ルートを作った。日本でいえば大分の湯布院。地域全体で湯布院のイメージをつくっています。
もう一つ面白かったのは北海道・帯広の屋台。真冬に外で食べる屋台のラーメン屋をやった。地元は最初、猛反対したそうです。そんなもん、寒いのに誰が来るのかと。ところが観光客に大受けだった。
一番喜んだのは地元の人間で、列を作って屋台に並んだ。温かい場所、暖かいもので、もてなそうという一般的な発想とは逆の発想でスタートしている。
先ほど、中野さんや山内さんのお話にあったような地域の取り組みが、実は本当のブランド戦略の出発点ではないかと思うんですが。中野さんは今、麺(めん)でどんなことをやろうと思っているんですか?
■めんで日本一の街を
中野 じゃじゃ麺の老舗に「白龍」という店がありますが、日曜日が休店だったんです。創業以来の付き合いなので、ある時「観光客は白龍さんのじゃじゃ麺を食べに来ている。日曜も開けてくれないか」とお願いしました。正直、なかなか、うんとは言ってくれなかったのですが「老舗の白龍さん自体が財産だと思うし、じゃじゃ麺はもうあなたたちのものだけではありませんよ。盛岡の財産であり、それをぜひ、日曜日も食べられるようにしてください」と頼み込んだ。今、地元百貨店の川徳さんへ出店されています。
今、窓の外を見たら、新しいじゃじゃ麺屋ができているんです。市内で、ここ数年、店が増えていて、いいことだなと思います。
観光客の方によく「どうして盛岡は焼き肉、冷麺なんですか」と聞かれる。さらに「どうして盛岡はじゃじゃ麺という看板が多いの?」となれば、しめたものかなと思うんですね。こういう流れの中で、盛岡だけのものではなく、全国発信できるものになればいいと思います。
わたしは29歳の時に父の後を継いで、自分の名刺の裏に「麺作りから店作り、まちづくりがわたしの夢です」と書いた。麺でまちおこしをしようと、これまで携わってきたんです。
関口 今、全国のあちこちにアンテナショップを開設しているとか。
中野 ええ、もう大手がどんどん来るので。わたしどものような零細企業が県外で商売しようとしても、なかなか資本力がありません。それで数カ月単位で臨時店舗を借りる。長くても半年で閉じる。経費をなるべく低くして、いろいろな店舗をやってみる。今までに数十店舗、構えました。
東京・浅草の雷門のすぐそばにもあります。この前は栃木県で「岩手軒」という店を開いた。最初、「岩手屋」にしようとしてインターネットで調べたら同じ店名が栃木にあったんですよ。急きょ名称変更しました。
白みそを「弁慶」、赤みそを「義経」とか、そういう工夫もして、どんな人がどういうものを求めているのか、どういう思いで食べてくれるのか、うちの会社でできる範囲内でやってみようと。
関口 どんな種類のラーメンなんですか?
中野 いろいろな種類があります。支那(しな)そば、とんこつなどいろいろなパターンができました。
関口 すごい勢いですね。
中野 まだまだですが、2年間で数十店舗も出すと、どの地域でどういうことをやれば、どうなるのか、だいぶ分かってきます。1日1万円しか売れない店から1日90万円も売れる店もあるんです。最高で96万円、最低は8千円…(笑)。ある町内の1丁目でやって1日8千円、リベンジしようと1年後にもう1回行って、同じ町内の4丁目で1日30万円とか勉強になりますね。
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