2008年 1月 7日 (月) 

       

■  〈自転車びより〉31 斎藤純 萬鉄五郎16歳、水彩画に目覚める

 日本における自転車の歴史を調べていて、萬鉄五郎が1901年(明治34年)に自転車を買ってもらっていることがわかった。萬が16歳のときだ。

  おそらく岩手ではまだ数台しか走っていなかっただろう。その当時、自転車はまだ庶民の手が届かない乗り物だった(萬家は豊かだった)。この年、萬にはもうひとつ大きな出会いがあった。大下藤次郎の『水彩画栞』が出版されたのである(この本は日本中に水彩画ブームを巻き起こすことになる)。

     
  水彩スケッチ(作・斎藤純)  
 
水彩スケッチ(作・斎藤純)
 
  以前から南画(中国の水墨画)を習っていた萬は、この本と出会って水彩画に目覚めた。きっと自転車に水彩画の道具を積んで、あちこちスケッチをしてまわったに違いない。

  後に萬は大下藤次郎に絵をみてもらった。そのときのことを「洋画家は絶えず窮乏と闘う覚悟が必要であることを繰り返し注意されたと覚えている」と書き残している。これは、「画家は明日を憂えてはいけない。今日、今、最も忠実でなくてはいけない」という萬の信条のひとつに通じる。

  また、『水彩画栞』には「臨本の模写はなるべくなさざるをよしとす。かかる暇あらば室内写生を試むべし」とある。萬がそれまで習っていた南画は、まさに臨本の模写を基本としていたから、目からうろこが落ちるような思いでこれを読んだのではないだろうか。 後年、水墨画を盛んに描くようになるが、それは南画からは遠く離れた萬独特のものだった。

  このように見ていくと、萬は大下藤次郎からの大きな影響を受けていることがわかる(専門家はあまり指摘していないが)。

  ぼくは自転車に再び乗りはじめた10年前に、実は水彩画も再開している。子どものころは字を書いているよりも絵を描いている時間のほうが遥かに長かったのに、成長するにつれて絵筆を持つことはなくなった。自転車と水彩画をほぼ同じ時期に復活させたのは、別に意図したわけではないのだけれど、何か関係があるのかもしれない。人は年齢と共に自分の文化にかえっていくという。たぶん、そういうことだ。

  自転車と水彩画は相性がいい。なぜなら、水彩画は道具が少ないので、荷物をあまり積めない自転車でも不自由しないのだ。絵の具や絵筆などはカセットテープ2本分ほどの大きさに収まる。スッケチブックがかさばるのは仕方がない。

  残念ながら、ぼくの自転車はスポーツタイプなので雪道はまったく走れない。来春のスケッチサイクリングにそなえて、室内写生で腕を磨こうと思っている。

(作家、盛岡市在住)

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