2009年 3月 1日 (日)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉205 八重嶋勲 まだ送金していないので、さぞ不都合だろう

 ■272半紙 明治41年5月17日付

宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
                日松館
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧去五日請求之処尓今送金不致嘸不都合ノコトゝ存居候、例之金束(策)困難ノミナラス、郡農会撰定ノ福島視察ノ為メ去ル九日出福、十二日帰村シ、加之衆議院議員撰(選)挙故老生ハ素ヨリ運動ナトハ一切不致候得共撰(選)挙事務準備ノ為メ昼夜ニ閙敷今日ニハ郡ニ於テ開票日ニ有之候、当地ハ新聞紙ニモ有之候通盛岡市原、郡部ハ遊田、高嘉、阿部徳、福田、村上、柵ノ瀬、小野碕ノ七氏ナリ、手前ハ政友派ノ為メ遊田ヲ投票セリ、高橋嘉太郎ハ進歩派ヲ脱発表未然ナルモ政友派進歩ノ候補ハ福田、柵ノ瀬ナルモ柵ノ瀬ハ遊興會即チ島田三郎派ナリ、郡部五人ニ候補七人ニテ弐人ノ落撰(選)者アルベシ、其ノ失敗者ハ福田、村上ナリト、或ハ福田、遊田ナリト、又ハ福田、高橋ナリト評アリ、我々ハ個人運動セサルモ支部相談ニハ預候、紫波郡三分シテ河東ハ遊田ヲ助ケ、北部ハ高橋ヲ助ケ、西部ハ阿部徳ヲ助ケ、当彦部村ハ敢テ福田ニ妨害セサル様開始以来曽テナキ□緩怠ナル撰(選)挙ナリ、当村ノ撰(選)挙概畧遊田六十、福田九十、高橋五百ニテ紫波郡ノ大勢ハ福田千、遊田三百、高橋弐百、小野碕三百、阿部徳五十、村上五十位ナラント豫想セリ、比較的福田ハ他郡ニナササ(ソ)ーナリ、概ニテ岩手縣ハ一人ニテ弐千五百ヲ得者アラザレバ当撰(選)者ニアラスト豫想ナリ、
たみ江ハ去月廿三日、祖母死亡三日前男子出産シ母子共無事ナリ、
耕次郎ハ日詰ノ蚕業講習所ニ出テ二、三日前迄毎日通、朝夕農事手伝為致置タルモ昨日ヨリ日詰講習所ニ宿泊スル様ニ相成困リ居リ候、併シ成績ハ三十人中優等五人ニ算サレ先生ト日詰町蚕室ノ消毒ニ従事シ又学校ニテハ桑収支ノ担任暖度ノ主任ヲ命シラレ、大ニ喜ヒ居リ候、彦部村ヨリハ近谷亥太郎、石ケ森教岳、佐藤長七、耕次郎ノ四人ナリ、郡ノ目的ハ優等ナルヲ実地ニ従事セシメ、追々郡ノ巡回教師位ニスル見込ナル由ナリ、
「毎度ナカラ金束(策)ニ困難致居リ候、何ノ方面ニ向ッテモ借入スルノ見込ミナシ、去(然)リトテ賣却スル物品モナシ、如何シテヨキカ、病後ニアル其身モ心配又隠シ追フ不能ル金束(策)ノ途ナキハ如何可致哉、実ニ貧窮ノ極ニ達セリ、去(然)リトテ建物賣却モ致度ナシ、土地賣却セントスルモ担(抵)当トス(シ)テ他ノ□□ニアリ、百方苦慮中ナリ、此両三日中ハ送金可致候、電報ナトハ無用ナリ、出来得ル限リ取急キ送金スベシ、
    五月十七日
 
  【解説】「前略、さる5日請求の金を今もって送金していないので、さぞ不都合のことと思っている。例のように金策困難のみならず、郡農会で選らばれた福島視察のため、さる9日出発、12日帰村した。これに加えて衆議院議員選挙があり、もとより自分は運動などは一切しないが、選挙事務準備のため昼夜に忙しく、今日は郡においての開票日である。当地は新聞に出ている通り盛岡市は原敬、郡部は遊田、高嘉、阿部徳、福田、村上、柵ノ瀬、小野碕の七氏である。手前は政友派のため遊田に投票した。高橋嘉太郎は進歩派脱を発表。未然であるが、政友派、進歩派の候補は福田、柵ノ瀬であるが、柵ノ瀬は遊興会、すなわち島田三郎派である。郡部定員5人に候補7人で2人が落選となる。その失敗者は福田、村上であろうと、あるいは福田、遊田であろうと、または福田、高橋であろうと世評がある。

  我々は個人運動はしない。支部の相談に預けている。紫波郡3分して河東は遊田を応援し、北部は高橋を応援、西部は阿部徳を応援。当彦部村は敢て福田を妨害しないようにしながら、開始以来かつてないような選挙戦をしている。

  当村の選挙の概略は、遊田60票、福田90票、高橋500票で、紫波郡の大勢は福田千票、遊田300票、高橋200票、小野碕300票、阿部徳50票、村上50票位であろうと予想される。比較的福田は他郡に票がなさそうである。岩手県では、概ね1人2500票を得なければ当選しないとの予想である。

  たみ江(長一の妹、長岡村犬吠森屋号岩ノ沢に嫁いでいる)は、祖母死亡3日前の、4月23日に男子を出産して母子共無事である。

  耕次郎(長一の次弟)は、日詰の蚕業講習所に出て、2、3日前まで毎日通いながら、朝夕農事を手伝わせていたが、昨日から日詰講習所に宿泊するようになって困っている。しかし成績は30人中優等の5人に加えられ、先生と日詰町蚕室の消毒に従事し、また学校では桑の収支を担当、暖度の主任を命ぜられて、大いに喜んでいる。彦部村からは、近谷亥太郎、石ケ森教岳、佐藤長七、耕次郎の4人である。

  紫波郡の目的は優等な者を実地に従事させ、おいおいは紫波郡の巡回教師位にする見込みのようである。

  毎度ながら金策に困難している。どの方面に向かっても借入する見込みがない。さりとて売却する物品もない。どうしたらよいものか。病後の長一のその身も心配。また隠し通すことができない金策、その金策の途のないところをどうしたらよいものや。実に貧窮の極みに達した。さりとて建物は売却したくない。土地を売却しようとしても他の抵当になっている。百方苦慮中である。この両3日中には送金しよう。請求の電報などは無用である。出来得るかぎり取り急ぎ送金する。」という内容。

  父長四郎は、彦部村村長として、福島視察の出張、衆議院選挙、人手のない自家の農業などで大多忙。その上、長一の学費、療養費等の請求に対しての金策。売るものはもう何もない。しかし住んでいる家は売りたくない。

  田畑を売ろうとしても抵当に入っていてどうしようもない。百方手を尽しても金策できない。しかしながらなんとしてでも金策をしても送金しなければ、長一が困るだろうと父は躍起となっているのである。その塗炭の苦しみはいかばかりかである。

(県歌人クラブ副会長兼事務局長)

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