2009年 3月 5日 (木)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉134 望月善次 季節の涙

 【啄木の短歌】

  かなしきは
  秋風ぞかし
  稀にのみ湧きし涙の繁(しじ)に流る る

       〔『一握の砂』255〕

 〔現代語訳〕ああ、悲しいものは秋風です。珍しく湧いた涙が流れて仕方がないのです。 

  【賢治の短歌】

  たんぽぽを
  見つめてあれば涙わく
  額(ぬか)重きまま
  五月は去りぬ。

     〔「歌稿〔B〕」128〕

  〔現代語訳〕タンポポを見つめておりましたら涙が湧いたのです。ああ、額も重いまま五月は去ってしまったのです。
 
  〔評釈〕季に恵まれている日本の文化は、季節などの変わり目には、人の心を敏感にする。本来季節の変化は「地球の自転軸が公転軸に対して約23度30分傾いていることが太陽光線の地球面への入射条件の1年を単位とする周期的変化を導く」〔『マイペディア』〕のだそうだが、そうした解説は評者の力に余ることである。啄木歌は「秋風のこころよさに」の冒頭から三首めの作品。「秋」の作品が必ずしも多くないこの章の中では、「秋」を正面から取り上げている作品でもある。原体験としては「湧きし涙の繁に流るる」という体験をもったのかも知れないが、そうしたしみじみさが、作品の上に定着しているかとなると、もう一歩というのが評者の読み。賢治作品は、「大正三年四月」中よりの一首で、「秋」の啄木に対してタンポポの五月が舞台。盛岡中学校を卒業して浪人の賢治の人生でもつらいこの時期には注目作品が多いのだが、抽出歌はその域に達した作品ではない。

(盛岡大学長)


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