2009年 3月 8日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代19〉小川達雄 賢治の盛岡案内5

     四、四ツ家教会

  高松の池から市の中心部へ行くには、二つの経路があった。それはいまやって来た上田の通りを戻る道と、高松の池に沿った神庭山の尾根の山道をたどる道である。

  しかしその尾根の道は遠回りになるので、賢治はまっすぐに上田の通りを戻り、また田中地蔵の脇を行ったと思う。

  賢治は、何度も同じ山地を尋ねて歩く人である。さびしい上田の道を、道順などおかまいなしに歩いたのは、それだけ盛岡が好きであった、ということかもしれない。

  地蔵さんの場所から百数十メートル、突き当たって右に行くと、間もなく右手に、瀟洒な白い四階建ての教会が見えた。それはプジェ神父が主任司祭の盛岡天主公教会である。そこは四ツ家教会ともいった。

  さはやかに 朝のいのりの鐘鳴れと
  ねがひて過ぎぬ 君が教会
           二八〇

  これはプジェ神父のことをうたった、翌大正五年の歌であるが、そこには続けて、プジェ神父への親しみをうたった四首が挿入されていた。

  すると、賢治にはすでに中学四年の時、岩山でたまたまプジェ神父と出会った時の歌があったので、プジェ神父には以前から特別な敬意と親愛の念を抱いていた、ということがわかる。高橋はこの教会についてなにもふれてはいないが、賢治は教会の前を通る時、必ずやこの鐘の響きのことを云ったにちがいない。

  この鐘はアンジェラスの鐘といって、先代ベリオス司祭の時、本国フランスから送られたものである。その鐘は、

  −カーン カーン カーン カーン カ
   ンカンカンカンカンカン カン カン
   カーンカン カーンカンー

  と鳴る。懐かしいような、まつわりついてくるような、時には群れて遊んでいるような響きである。

  板谷栄城氏は、この鐘の音は童話「貝の火」の中で、つりがね草の朝の鐘として、

  「カン、カン、カン(これは小さい文字)
  カエコ、カンコカンコカン」

  と三度鳴っていると述べた(『宮沢賢治の、短歌のような』)が、たしかにあの鐘の音には、音が手をつないでいるような、蝶々のたわむれといった響きがあった。

  わたしは〔ド〕の音程と聞いたが、それは賢治が以前、修学旅行の歌に残した中尊寺の鐘の音、「ポーン」と共通した、明るい響きのように思われた。

  賢治は高橋と少し高めのテノールの声で語りつつ、元気に歩いていたであろうか。

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