2009年 3月 10日 (火)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉136 望月善次 郷涙

 【啄木の短歌】

  己が名をほのかに呼びて
  涙せし
  十四の春にかへる術なし

     〔『一握の砂』153〕

  〔現代語訳〕自分自身の名前を仄(ほの)かに呼んで、涙を流した(数え年)十四歳の春に帰る方法はもうないのです。
 
  【賢治の短歌】

  峡流の白き橋かもふるさとを、おもふにあらず涙あふれぬ。

  〔166/大正五年九月六日 保坂嘉内宛〕

  〔現代語訳〕峡谷の流れにかかっている白い橋よ。故郷のことを思うのではないのですが涙が溢(あふ)れて仕方がないのです。
 
  〔評釈〕「故郷への思い」を秘めて流す涙「郷涙(きょうるい)」の二首を抽出した。啄木作品は、広く知られているものだが、この作品の冒頭が当初は「君が名を」であったことを知らない人は少なくない。「君」から「己」への変更は、生活事実の「事実」を変更せずに作品の上に示す「写実派」にはあり得ない「方法」で、評者の啄木論の骨格の一つをなすものでもあるが〔『啄木短歌の方法』(ジロー印刷企画、一九七七)参照〕、ここではその詳細に立ち入ることは抑制したい。「己が名」を呼ぶことなど通常はない行為なのだが、それを不自然だと感じさせないところが啄木のオソロシイところである。抽出歌は、直接的には帰らない若年時を歌っているのだが、この作品を収める「煙」の章全体のテーマは、「郷愁」となっているのである。賢治作品においては「ふるさとを、おもふにあらず」と言っているが、もちろん背後に、切ないまでの故郷への思いがあるのである。

(盛岡大学長)

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