2009年 3月 15日 (日)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉207 八重嶋勲 野村亀治の卦によれば「火水末済」なり

 ■274半紙 明治41年5月26日付

宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
                日松館
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧昨日十八円丈中村謙三ヨリ借受差立候筈三十円丈申込ミタレトモ用弁ニ不相成、尚ホ目下密ニ申込中ナリ、此度ハ授業料当月中ニ是非差立ル見込ナリ、
昨日日詰町ニ行キ(タ)ルニ野村亀治折角茶呑ヲ進メラレ入タルニ例之易断話シニ移リ且ツ平八高橋等ヘモ今回ノ議員候補者当落ヲ野村ニ易ヲ諾シ彼レノ豫言通即チ遊田福田落撰(選)ナリト言ヘセシ毫モ違ヘ(ヒ)ナク結果ヲ見タルハ当地ノ人々感服シ居候様子ナリ、
□シノ末昨年来病気此末則チ本年ノ学校
ノ事ニ及喜ンテ易ヲ取リ年齢ヲ聞廿七才
ト答ヘ二人ニテ二階ニ昇リ身ヲ清メゼー
ソ(チ)クヲ取リ其易断ニ現象左ニ我レ
モ書籍同時讀下セリ曰
  年二十(七)才野村長一 本年ノ易
(卦の表示)火水 末済 二支ヲ得タリ
    九二曵其輪貞吉○象(承)傳曰九   二貞吉中以行正也
     是レハ川ヲ渉ラントスルモ危キ    コトアルニヨリ後ニ戻レハ吉ヲ    得ルナリ、進ムニ早シ
(占註)才力アリテ慎ミ深キモノトス
     本業ヲ怠ラズシテ時ヲ俟ツ進ム    トキハ實功(宏)ニ奏スベシ盛    運将ニ来ラントス象ヲ和順スル    トキハ益々吉ナリ○百事急ケハ    禍ヲ取ルノ道ナリ、能ク自ラ止    マリテ進マザレバ正ヲ得ルナリ    ○思慮定見アル人時ノ至ルヲ待    ツノ象ナリ○三年ノ後貴人ノ引    立テ得ルノ象ナリ○進ンテ事ヲ    為スハ尚ホ早シ、三ヶ月待ツニ    宜シ服テナルトキハ病癒ルノス    (シ)ルシナリ
  此ノ罫(卦)ノ事柄ヲ聞、我胸中知ラレタルモノゝ如ク思ハレ候
豫メ知ルナラン亀治ト云フ人ハ此人ノ如クナルモ日詰町テノ学者ナリ、少モ虚説ヲ口ニシ又ハ人ノ面色ヲ見テ云フ人ニアラス、同人云フ此罫(卦)ハ二メヲ得タリ、貞吉トハ極能キ罫(卦)ナリ、但シ火水未済ハ[川ノ深浅ヲ知ラズシテ之レヲ渡ルトキハ必ラス危シ、ノリ出シテ危キト見ルナラ早ク戻リ三ヶ月後ニ於テ渉了セル方案(安)全ナリ、
(我考六月ニ於テ安心ノモノ計試験ヲ受ケ不安心ノモノヲ八月ニ残シハ可ナラン)
送金ニ大ニ困リ是ノミ残念ニ候、野村益太郎ノ如キ大概月拾五円カ拾八円ニテ間ニ合セル様話合致居、仮令薬價アルトモ廿五、六円テ間合セルコト出来ル筈ナリ、况ヤ家政困難ノ家ナリ、何ノ為メニ他ノ人々ヨリ月拾円内外ハ多額ノ費消ノ様ニ被思候、何ノ為メナルカ、理由アルコトナラン、郡内何レノ学生ノ学費モ二十円未満ニテ足レル由ナリ、尤モ野村益太郎氏ノ如キハ未タ高等学校ナルモ其許ノ如キハ高等学校時代今ヨリ物價ノ底(低)價ナル場合ニモ三十九年此頃頓テ月三十円以上費消セリ、如斯人並以上ニ金銭ヲ費消スルハ他人即盟友ヲ救助シテ学費ヲ□(供)與スルカ又ハ無益ノ交際スルカ、何(ニ)カ贅澤スルニ相違ナカルベシ、若シアリトセハ此場合廃止セラレ度モノニ候、
何(ニ)カ財政不顧ル点アルニ相違ナカルベシ、藤原善治氏ニ比シ約ニ倍ナリ、佐藤庄兵衛氏ノ如キ経済モ敢テ不好次第ニ候得共送金高ヲ可成密シ、尤モ一ヶ月普通四十円(授業料迄)平均病中百円前後ト云フニアリテハ世間驚カサル人ナシ、或ハ信ジサルモノ如シ、如何ナル術ヲ施シト雖モ最早送金壱円モ不出来様ノ家政ニ陥タリ、如何シテ求ムヘキヤ、将来ヲ慮レリ、夏期休業ノ際相談スベシ、學校休業次第一日モ猶豫ナク帰郷準備スベシ、毎年四、五日後ルゝ例ナリ、如斯ハ皆人々よリ過分ノ費消スル理由ナラン
    五月廿六日
 
  【解説】「前略、昨日18円だけ中村謙三から借り受け送金した。30円借りようと申し込んだができなかった。なお目下さらにひそかに申し込んでいる。今度は授業料を当月中にぜひ送金する見込みである。

  きのう日詰町へ行った時、野村亀治に折角お茶飲みを進められて入ったが、例の易断の話になった。この頃の衆議院議員選挙の際、平八、高橋などの選挙の当落の易を野村亀治が託され、易断をした。易断の予言は、遊田、福田が落選であるとなった。結果がその通りになったので、当地の人々は感服しているという。

  長一の、昨年来病気、その末の則ち本年の学校の事に及び喜んで易を取り、年齢を聞き27歳と答え、2人で2階に昇り身を清め筮竹(ぜいちく)を取り、その易断に現象、左に我も書籍を同時に読み下して曰く

  年二十七歳野村長一 本年の易
   火水 末済 二支を得たり
   九二曵其輪貞吉 ○象(承)伝曰く
   九二貞吉中以行正也、
    これは川を渡るらんとするも、危
    きことがあるので後に戻れば吉を
    得る、進むに早し
(占註)才力あって慎み深きものとす。
     本業を怠らずして時を待ち進む
     時は寛厚に奏すべし。盛運将に
     来らんとす、象を和順するとき
     は益々吉なり○百事急げば禍を
     取るの道なり。よく自ら止まり
     て進まなければ、正を得る。○
     思慮定見がある人は時の至るの
     を待つの象である。○三年の後、
     貴人の引立て得る象である。○
     進んで事を為すには尚早い。三
     か月待つのがよい。服してなる
     ときは病いが癒るしるしであ
     る。

  この卦の事柄を聞き、我が胸中を知られたように思われた。

  予め知っているであろうが、野村亀治という人は、日詰町で人々から認められている学者である。少しも虚説を口にしたり、人の顔色を見ていう人ではない。同人のいうこの卦に二目を得た。貞吉とは極くよい卦である。

  ただし、「火水未済」とは、川の深浅を知らずして渡るときは必らず危い。乗り出して危いと見るなら早く戻り、3か月後において渡る方が安全である。

  (我考えるに、6月において安心のものばかりの試験を受け、不安心のものを8月に残すのがよいであろう)

  送金に大いに困り、これのみは残念である。野村益太郎の如きは、概ね月15円か18円で間に合わせているという話であった。長一の場合、たとえ薬価があるとしても25、6円で間に合わせることができるはずである。

  いわんや家政困難の家である。他の人々より月10円内外を多額に費消しているように思われる。何のためであるか、理由があることであろう。郡内いずれの学生の学費も20円未満で足りているということである。

  もっとも野村益太郎氏のごときは、まだ高等学校である。長一は高等学校時代の今より物価の低い明治39年の頃で月30円以上費消した。かくのごとく人並み以上に金銭を費消するのは他人、即ち友を救助して学費を供与しているのか、または無益の交際をしているのか、何かぜいたくしているに相違ない。もし、そういうことがあるとすれば、この場合廃止してもらいたい。

  何か財政を顧みない点があるに相違ない。藤原善治氏に比べ約2倍である。佐藤庄兵衛氏の如きは、経済的にあえて好くないので送金高をかなりおさえているようである。長一は、1か月普通40円(授業料まで)、病中で平均100円前後というのは世間で驚かない人がなく、あるいは信じない。いかなる術を施すといえども、最早送金1円も出来ないような家政に陥った。いかにして金を求むべきや。将来をおそれている。

  夏期休業の際相談したい。学校休業になり次第1日も猶予なく帰郷の準備をすべし。毎年4、5日遅れるのが例である。かくのごときも皆より過分の費消をする理由であろう」という内容。

  昔も今も、悩み事がある時、困った時など、占いに聞くということをする。父長四郎も、日詰町の野村亀治の易断の卦の結果を聞き納得、自分の考えと一致しており、長一の今後の進むべき道を諭している。

  野村益太郎は、亀治の長男。紫波高等小学校、盛岡中学校、旧制一高、東京帝大と進み、帝大でミミズの研究を始め、「ミミズ博士」で名を残した。理学博士、東北帝国大学教授に就任し、同大学に動物発生学を創設した。昭和18年7月、病気のため死亡、57歳。

  (県歌人クラブ副会長兼事務局長)

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