2009年 3月 17日 (火)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉139 望月善次 境界の涙

 【啄木の短歌】

  さらさらと雨落ち来り
  庭の面の濡れ行くをみて
  涙わすれぬ

    〔『一握の砂』267〕

  〔現代語訳〕さらさらと雨が落ちて来て、庭の面が濡れて行くを見ていて、(本当は涙を流すべき自分が、あるいは涙を流していた自分が)涙を忘れたのです。
 
  【賢治の短歌】

  きいちごは雲につめたく熟れたればか
  そけきなみだ誰かなからん

  〔現代語訳〕木苺は、(空に在る)雲に(対応するように)冷たく熟れているものですから、ちょっとした涙を誰が流さない人がいるでしょうか。
 
  〔評釈〕涙の九回目として、「涙が出ているかどうかの境界線上の涙」を取り上げることとする。啄木歌は、「秋風のこころよさに」所収の作品。「さらさら」は、元々「軽い音が触れ合ったり、水が浅いところを流れたりする音。」〔『くらしのことば擬音・擬態語辞典』〕に由来するオノマトペ。降って来た雨も、それによって庭の面が濡れて行くことも、所謂「大事」ではなく、何でもないこと。その〈何でもないこと〉によって、「涙を忘れた」ことが一首の核心。だがら、重くない「さらさら」が意味を持つのである。賢治歌は、「大正六年七月」中の作品で、伝記的には盛岡高等農林学校三年次に対応するもの。「歌稿〔A〕」にのみあって、「歌稿〔B〕」にはない作品。なお、第四・五句は、当初「ちぎらんとして泪ながれぬ」の形であった。「きいちごはVS雲につめたく熟れたれば」の状況の特定は苦戦したところだったが、一応「現代語訳」の様に受け取ることとした。

(盛岡大学長)

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