2009年 3月 19日 (木)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉140 望月善次 比喩的涙

 【啄木の短歌】

  しつとりと
  なみだを吸へる砂の玉
  なみだは重きものにしあるかな

    〔『一握の砂』9〕

  〔現代語訳〕しっとりと涙を吸った砂の玉よ。ああ、涙というものは本当に重いものなのですねぇ。
 
  【賢治の短歌】

  ある山は
  なみだのなかにあるごとく
  木々をあかつきのうつろに浸せり。

       〔「歌稿〔B〕」413〕

  〔現代語訳〕ある山は、(その木々がまるで)涙の中にあるように、その木々を、暁の虚ろの中に浸したのです。

  〔評釈〕啄木歌は、『一握の砂』における、いわゆる「冒頭〈砂〉十首」の九番めに置かれた作品。現実世界との対比を行うならば、〈「涙」を吸った砂の玉〉など存在するかということについては疑義を抱く論者もあろう。抽出歌は、言語形式的に言えば、「比喩(ゆ)」であることが明示されているわけではないが、現実世界からの飛翔は明らかである。こうした飛翔を考慮して、表題に「比喩的」の「的」を添えておいた。しかし、啄木のコワイところは、何気なくこの作品を読むと、そこに飛翔感や不自然さを全く感じさせないところである。「啄木の〈藝〉の力」と呼んでおこう。賢治作品は、「大正五年十月より」の中の一首。伝記的には盛岡高等農林学校の二年次に対応する。「なみだのなかにあるごとく」に見るように「ごとく」という、比喩を示す指標は明確に示されていて、「指標比喩」歌となる。同時に「山VS(木々を)浸せり」と結合比喩を用い、二重の比喩を使用している。

  (盛岡大学長)


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