2009年 3月 20日 (金)

       

■ 銅造観音菩薩立像が重文に 盛岡市の源勝寺所有

     
   国重文に指定される源勝寺所有の銅造観音菩薩立像(盛岡市教委提供)  
   国重文に指定される源勝寺所有の銅造観音菩薩立像(盛岡市教委提供)  
  盛岡市の源勝寺所有の「銅造観音菩薩立像」が19日開かれた文部科学相の諮問機関・文化審議会で国重文指定の答申を受けた。奈良前期の作とみられ、着衣形式や装身具の意匠など、法隆寺金堂壁画の菩薩像と共通する。鍍金(ときん)銅で作られ、東北地方に所在する古代金銅仏の代表的作例の一つとなっている。

  重文(美術工芸品・彫刻)指定されるのは同市北山の源勝寺に伝世し所有する1体。高さ27・3センチで、戦中の1944年に国重要美術品に認定され、78年に県有形文化財に指定されている。

  立像の特徴は、上半身に条帛(じょうはく・肩から脇に斜めに掛ける布)を掛け、下半の裳の前後にも肩から垂下する天衣(てんね)とは別の天衣をまとい、胸飾りや腰帯、瓔珞(ようらく・装身具)に大粒の宝飾をあしらうなど、全体に豪華な意匠を見せる。頭体のモデリングも安定したバランスの良いもので、一つの時代を画す正統の系譜に連なることをうかがわせるという。

  三面頭飾の像で条帛や下半身を飾る別の天衣を表し、連珠と列弁を組み合わせてその下端の中央と左右に宝飾を付ける形の胸飾りをあしらうなどの菩薩の形式は、中国初唐から盛唐のごく初期に現れるもので、日本では法隆寺金堂壁画に典型を見るとこができる。

  本立像は同壁画の菩薩像と比較すると、ややさかのぼる傾向も認められ、7世紀末ごろにこうした造形が日本の中央で行われたことも十分に考えていいという。中国初唐から盛唐にかけての仏像様式が、日本で受容、吸収されていく様相を示す作例として貴重。

  本像は三面頭飾の上部や両手の指、両足などを欠失し、両肩から垂れる天衣正面部の別鋳部分も失われているが、当初の華やかさは存分にしのばれるという。

  源勝寺は1454(享徳3)年、斯波氏によって現在の紫波町土舘に建てられた。南部氏が盛岡を居城とした際、藩内の格式高い寺院を城下に移した中の1つ。

  今回の答申による県内の重文は72件、このうち美術工芸品・彫刻は22件となる。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします