2009年 3月 22日 (日)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉208 八重嶋勲 家に労働する者がいない、いずこも人手不足

 ■275はがき 明治41年5月28日付

宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
                日松館
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧本日午前十時頃第三キ直接電替ニテ送金セリ、正午帰宅后払込ミタル書状到達さニ付ズにや、会計ニモ長一ヘ直接相成度ト手紙差立候、至急受取候様至可致候也
 
  【解説】「前略、本日午前10時ごろ授業料第3期分を直接電報為替で送金した。正午帰宅後払込みしたという書状を出したが、着かないのか。会計にも長一へ直接渡してもらいたいと手紙を差し立てた。至急受け取るようにすべし。」という内容。
  授業料3期分を帝国大学の会計に直接電報為替で送金したという。その後の取り扱い方がこの文面ではよく分からない。
 
  ■276半紙 明治41年5月30日付

宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
                日松館
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧大學会計部ヘ金拾壱円去ル廿七日直接ニ送金セリ、之レカ重復相成タル為メ野村長一ヘ下附セラレ度コトヲ同日照曾相発シ置候、取急受取ルベシ、単衣ハ目下仕立中ニ候得共未出来(上ガ)ラス、母一人ノ手ニテ農事ノ間暇寸時モ閙敷、家内ニ労働者ナシ、田植目下ニ迫リ加之昨日母ノ三十五日目法用相營ミ、親類中寄□ナヘ相済シ候、老生ナトモ役場泊リヲ欠席し、朝夕農事ヘ及限リ手出シ致居候モ大ニ疲レ育□ノ事モ不出来、折々ハ近所ノ手傳ヲ相待救合受ケ居候、日雇トテモ何國モ同シ、此頃ハ北海道行澤山アリ、金山行澤山アリ、従テ一般ニ人不足ヲ告ケ概シテ不人数ノ家ニテハ困難ナリ、勿論金束(策)上目下養蚕ノ準備或ハ五、六日前ヨリ着手ノ為メ金ノ欠乏セシコト日詰町ニ貸手ナシ定メテ困ルナラン、日々心配致居候、
何ノ道来ル三日頃迄ニ貮十円丈計リモ必ラス送金可取計候、目今試験時期ノ為メ金ノ義(儀)ニ就テハ出来得限リ心配為致度ナキ心組ニテ二人ニテ心配致居候モ何分早俄取サルニハ気ノ毒ノ様ニ被思候、
試験済次第モ一日モ猶豫ナク帰郷セラレ度候、帰郷ノ場合ハ夜具衣類不残持帰ル様セラレ度、洗濯スルモノモ可有之、古毛布カバンノ如当方ノ使用ニ充分可成候、
(畑中ノ賢次郎ノ妻重病(風産)(橘彦吉氏重病(肺))(佐藤庄兵衛重病)
(日下吉三郎離縁妻モト子二人四人ニテ太田代喜右衛門ニ入ル)吉三郎モトノ仕打其□徳タルコト世人不悪ルモノナシ、
耕次郎モ三日ニ又ハ四日一邊位帰宅シ、朝ハ時ニ行
野村亀治ノ易ノ如クンハ来ル六月アル科目丈ケ受験シ、アル部分ハ九月受クル方可然候、
右用事迄、早々
   五月三十日      野村長四郎
    野村長一殿
次回ニ章ノ習字送ルベシ
 
  【解説】「前略、大学会計部へ11円をさる27日直接に送金した。これが重復納入となったので、野村長一へ下付されるように同日照会の手紙を出しておいた。取り急ぎ受け取るべし。単衣は目下仕立中であるが、まだ出来上がらない。母一人の手で農事をしているので暇が少しもない。

  家に労働する者がない。田植が迫り、これに加え、昨日母の35日目の法用を営み、親類中寄り集まって済ました。自分なども役場の宿直を欠席して、朝夕農事に及ぶ限り手を出しているが、大いに疲れ、何ほどのことも出来ない。

  折々は近所の手伝を待ち助けてもらっている。

  日雇いもいずこも同じで人手不足。この頃は北海道行きがたくさんあり、金山行きもたくさんありで、一般に人不足である。不人数の家は困っている。

  もちろん金策上も目下養蚕の準備、あるいは5、6日前から着手のため金が欠乏しており日詰町でも貸し手がない。きっと困っているであろうと、日々心配している。

  どの道、来る3日ごろまでに20円ばかりも必らず送金するようにする。今は試験時期のため金については出来る限り心配させたくないと2人で心配しているが、何分はかどらないので気の毒に思っている。

  試験済み次第、1日も猶予なく帰郷せよ。帰郷の際には夜具、衣類を残らず持ち帰るようにせよ。洗濯するものもあるだろう。古毛布、カバンのごときは当方の使用には充分であろう。

  (畑中の賢次郎の妻重病(風産)(橘彦吉氏重病(肺))(佐藤庄兵衛重病)
(日下吉三郎離縁妻モト、子2人と4人で太田代喜右衛門に入る)吉三郎、モトの仕打ちを世人は悪く言わないものがない。

  耕次郎は、3日にまたは4日に一辺位帰宅し、朝は時に行く。

  野村亀治の易のごとくであれば、来る6月の試験には、ある科目だけ受験し、ある部分は9月受ける方が良いだろう。

  右用事まで、早々

  (追伸)次回に章(長一の末弟、彦部尋常小学校1年)の習字を送る。」という内容。

  東京帝大会計部ヘ授業料を重複して納入したとのこと。このころ父長四郎が直接大学に納入していたのであるが、長一も納めたのであろうか。金策工面の貴重なお金である、あわてて大学に手紙を出し、重複納入分を長一に渡してもらうるように頼んだという。

  野村家では、田畑の多い大農家。北海道や金山に若い人は出稼ぎに行ってしまい、人手不足で作男雇えず、働き手は50歳近い母一人だけで、本当に大変な事態であったことであろう。

(県歌人クラブ副会長兼事務局長)

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