2009年 3月 26日 (木)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉142 望月善次 一握の砂と空の薔薇

 【啄木の短歌】

  頬につたふ
  なみだのごはず
  一握の砂を示しし人を忘れず

        〔『一握の砂』2〕

  〔現代語訳〕頬(ほお)に伝わる涙も拭(ぬぐ)わずに、一握りの砂を示した人を忘れることができないのです。
 
  【賢治の短歌】

  けさもまた泪にうるむ木の間より東の
  そらの黄ばら哂へり

        〔「歌稿〔A〕」619〕

  〔現代語訳〕今朝も、涙に潤んでいる木の間より、東の空の黄色い薔薇は笑ったのです。
 
  〔評釈〕啄木歌は、歌集名にもなっている著名歌だが、「示しし人」の具体像を探ろうとする途端、その探索は茫漠とする。初出が、『歌稿ノート 暇ナ時』(明治四十一年六月十四日)のものを、配置し直したことがその遠因。直前の「いざ立てむ明日を図らず昨(きぞ)をみずかく相抱く標号の石」からも、作歌時の作風は明瞭で、それを組み換えた編集力には、いつもながら圧倒される。賢治作品は、「大正六年七月」中の一首で、伝記的には、盛岡高等農林三年生に対応する。「岩手山あらたに置けるしらゆきは星のあかりにうす光るかも」〔「歌稿〔A〕」617〕等から岩手山登山後の作品。「賢治は花壇の設計等では多種のバラを用いたようだが、作品の上ではそれほど多様ではなく「黄金のばら(薔薇)」「黄ばら」にかたより、しかもバラそのものとしてでなく空や太陽の比喩(ひゆ)として用いられているのは不思議なほどである。」〔『新宮澤賢治語彙辞典』〕の指摘もある。

(盛岡大学長)

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