2009年 3月 28日 (土)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉143 望月善次 恋の誇示と秘匿

 【啄木の短歌】

  いつなりけむ
  夢にふと聴きてうれしかりし
  その声もあはれ長く聴かざり
     〔『一握の砂』415〕

  〔現代語訳〕いつのことだったでしょうか。思いがけず夢の中で聴いて嬉しかった、その声も、ああ長く聴いていないのです。
 
  【賢治の短歌】

  はだしにて
  よるの線路をはせきたり
  汽車に行き逢へり
  その窓明し。
    〔「歌稿〔B〕」一八〇〕

  〔現代語訳〕(あなたへの恋しさの余り)裸足で、夜の線路を駆けてきました。その途中で、汽車に行きあったのですが、その窓は明るかったのです。
 
  〔評釈〕啄木短歌と賢治短歌とを比べる形で、一年間お付き合いいただいた。主として、両者の共通世界を探ることを行って来たが、まとめの意味も兼ねて、今日から5回ほどは、対照的な世界を取り扱いたい。今回は、「恋」に対する両者の態度である。啄木短歌は、「忘れがたき人人 二」の冒頭歌。これ等は、橘智恵子に捧げた作品であるが、両者の実生活における交わりからすれば、歌集の中の位置は異常と言っていいほどに重い。現在の研究レベルからすれば、「啄木編集力の凄さ」が前面に出るところだが、伝記的研究がリードして来た啄木研究の歴史は、生身の両者の関係へと向かったところが切ないのだが、今回は、「恋を誇示する啄木」の一例として挙げたことのみを記しておこう。それに対して賢治の恋への慎重過ぎる態度は、モドカシイほど。それだけに賢治恋愛歌は、賢治短歌の中でも捨てがたい光を放つ。「冬のスケッチ」の「三五、三六」等との対比もまた興味深い。
  (盛岡大学長)

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