2009年 3月 28日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉24 小川達雄 賢治の盛岡案内10

     七、続々・岩手公園

  賢治はひと目惚れというのか、南部中尉の銅像見学の時に公園が好きになり、折りにふれては公園にやって来たらしい。

  次は「岩手公園」と題する賢治最晩年の文語詩であるが、ここには祈りにも等しい天地(盛岡)への親愛が、聖職者タピング一家の応答に寄せて、穏やかに、美しく歌われていた。タピング家の人々の気持ちや公園の情景を思い浮かべながら、ゆっくり読んでみることにしたい。

     岩手公園

   「かなた」と老いしタピングは、
   杖をはるかにゆびさせど、
   東はるかに散乱の、
   さびしき銀は声もなし。
 
   なみなす丘はぼうぼうと、
   青きりんごの色に暮れ、
   大学生のタピングは、
   口笛軽く吹きにけり。
 
   老いたるミセスタッピング、
   「去年(コゾ)な(汝)が姉はこゝに
   して、
   中学生の一組に、
   花のことばを教へしか。」
 
   弧光燈(アークライト)にめくるめき、
   羽虫の群のあつまりつ、
   川と銀行木のみどり、
   まちはしづかにたそがるゝ。
 
  賢治はそののっけから、そのいちばん大切な中心を、スッという。

  この場合は「かなた」であるが、老タピングの指す杖の先には、はるか東の方に、銀色の丘が起き伏していた。その時、父の牧師に応じて、タピング青年はかろやかに口笛を吹く。それは

  「オーケー(わかっているよ)、」

  こんなサインであったろう。すると「かなた」と指した老タピングの気持ちがわかってくる。それは聖職者の家族のあいだには電流のように伝わる思いで、

  「かなたに聖なるもののおわします」

  こうした祈りであったに相違ない。

  父の思いに対して、息子の口笛は明るく響き、次はタッピング夫人の登場である。夫人は父と子の応答に満たされて、去年の記憶を語る。

  「この公園ではお前の姉さんが、中学生
  たちに花のことばを教えたのよ」

  するとその中学生たちは、この幸せな場面で、いわば聖歌隊のような役目を果たした、と見ることができる。

  この黄金のような場面に、賢治はさらに、夕暮れの盛岡のさりげない情景を添えた。

  「川と銀行木のみどり」

  │青きりんごの色に暮れてゆく丘(岩山)│その前に流れる中津川、新しい銀行、公園の木々の緑。賢治は、心からなる〔盛岡讃歌〕を歌ったのであった。

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