2009年 3月 31日 (火)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉144 望月善次 酒への指向と回避

 【啄木の短歌】

  とある日に
  酒をのみたくてならぬごとく
  今日われ切に金を欲りせり

     〔『一握の砂』103〕

  〔現代語訳〕或る日に酒を飲みたくてたまらなかったように、今日、自分は、心から金を欲しいと思ったのです。
 
  【賢治の短歌】

  ひとびとは
  釜石山田いまはまた
  宮古と酒の旅をつゞけぬ。

   〔「歌稿〔B〕」558〕

  〔現代語訳〕(視察団の)人たちは、釜石、山田、そして今は宮古と酒の旅を続けているのです。
 
  〔評釈〕前回「恋」について、誇示する啄木と秘匿する賢治とに触れたが、この両者の態度は、「酒」についても変わらない。啄木の場合、実生活では、余り飲めない酒〔「飲みならはぬ酒」啄木書簡三五六(明治四二年十月十日、新渡戸仙岳宛)他〕も、作品中では、欠かすことのできない小道具の一つとなる。『一握の砂』の一五首、『悲しき玩具』の四首〔村上悦也『石川啄木全歌集総索引』〕はその傍証。「酒飲みの啄木」の風評が起こるのも必然である。啄木に比べれば、実際の賢治は、酒も決して弱くはなかったと言えるし、酒に対する態度も、生涯を通して否定一方ではなかったし、「税務署長の冒険」等に見るように、酒(密造酒)に関する知識も通り一遍のものではない。しかし、抽出歌や「藤根禁酒会に贈る」の「われわの世界の一つのひゞ」の表現に見るように、酒については、概して好意的ではない。酒に酔う人生の意味は賢治の世界とは交差しなかったのである。

  (盛岡大学長)


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