2009年 4月 2日 (木)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉145 望月善次 権力への考察

 【啄木の短歌】

  やとばかり
  桂首相に手とられし夢みて覚めぬ
  秋の夜の二時

      〔『一握の砂』151〕

  〔現代語訳〕「やあ」といきなり、桂首相に手を取られた夢を見て目が覚めました。秋の夜の二時に。
 
  【賢治の短歌】

  風は樹を
  ゆすりて云ひぬ
  「波羅羯諦」(はらぎゃあてい)
  あかきはみだれしけしのひとむら。

       〔「歌稿〔B〕」323〕

  〔現代語訳〕風は樹を揺すって、(「般若心経」の一節の)「波羅羯諦」(はらぎゃあてい=彼岸に行ける者よ)と言いました。(目を転ずると、目に入って来た)赤さは、乱れたケシの一群でありました。
 
  〔評釈〕人生を見極めようとする際、啄木の向かうところと賢治の向かうところは異なる。啄木の心は外に向かう。対象を鋭く分析しようとする。その一つとして、社会現象や社会構造に果敢に迫る。だから、「権力」や「政治」の問題が避けて通れなくなる。抽出歌は、『一握の砂』の最初の章である「我を愛する歌」の最終歌。時の首相桂太郎への親愛の情か、権力の象徴としての桂への反発かをめぐって、解釈が分かれる作品でもあるが、いずれにしても、啄木の「政治」への親近さを示す一例とはできよう。賢治作品は、「大正五年三月より」の中のもの。啄木の外へ向かう心に対して、賢治の心は内へと向かう。人生の意味を探ろうとした、その一つの具体的現れの一つが宗教であったというのが、評者の基本的考え。般若心経の一節「波羅羯諦」が、自然に一首の中に入って来るところが賢治的で、「あかきみだれ」以降、「視線を転ずる」もう一つの特徴とも釣り合っている。

(盛岡大学長)

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