2009年 4月 5日 (日)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉210 八重嶋勲 秘密の文書以外ははがきで通信を

 ■278半罫紙 明治40年6月8日付

宛 東京市本郷區第一高學校摂生室内
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧病気ノ事モ詳細報ニ因リ安心致候、冀フ處ハ首尾克卒業スルコトヲ得ハ大慶ニ候、
自今手紙ノ往復ハ秘書以外ハ葉書ニテ通信スルコトゝナシ(ス)方可然候、キクヱニ関スル事柄ハ何分記セサル様ニ被致候、留守中ニ届キタル場合耕次郎ニテ開封シキクヱト両人ニテ讀ムコトアレバナリ、病中ナルガ故ニ普通ト違ヘ(ヒ)家内モ心配致居ルコトナレバ一刻モ早ク其安否ヲ知ランタメ不取敢開封スルハ無止得次第ニ候、試験ノ方ハ病気故欠席セシコト勉強モ不出来理由ハ各教員方承知シ居ルモノナルヤ、果シテ知リ得ルモノトセバ或ハ援巌モ可有之、如何ナルモノナルヤ○請求之紺カスリ単衣、下衣等ハ昨八日書留小包ニテ送付致候、寝巻ハ地織木綿在合ニテ仕立方ニ着手セシモ余リ粗品ナルヲ以テ下宿屋ト違ヘ(ヒ)、摂生室ニ送ルニハ人目モ如何ト半途ニシテ見合セ候、休夏帰路ノ費用金策方ニ今ヨリ心配致居候、養生費ノ外ハ総テ節険(倹)ニセラレ度候、耕次郎ノ件太田村叔父ヘ□遣方可然ト被越候得共一考スルニキクヱヲ離縁シ后(後)婦ヲ貰受クルモ百姓スルモノ不可能ナラン、我等以外業ニ從事スルコトモ出来サルベシ、然ラハ誰レヲ以テ農事ノ監督セシメ又学費ヲ産ミ生活ノ途ヲ立ツルコト可得ヤ、他人ノ三人モ常時雇入ルゝトキハ給料百円以上ヲ要シ、夫トテモ家内ノモノ交リ農事ニ從事スルニアラザレハ到底完全ヲ期スルコト不能モノナリ、此等夏休帰郷ヲ俣テ相談確定スルコトゝ可致候、余ハ後便ニ申残ス、受検(験)ノ模様ハ其都度報導ヲ要ス、
   四十年六月八日    野村長四郎
     野村長一殿
(追伸)
単衣上襦袢、昨八日午前十一時差立候、突差ノ場合急ケ敷キタメ母ノ単衣(一回着衣□□□)拵ヘ整ヘ直シ品ハ本場モノニシテ上等ナレ共小形ナリ、気ニ合サルトキハ夏休ニ交換…
 
(上部欄外にあり)
星山学校ニテモ圖書館ヲ計画中(彦部ヲ模範トシテ郡長訓示ニ依ル)、書籍ナキ故折角ノ申込ニ依リ三十部計リ貸シ置キタリ、星山ノ阿部校長ハ□七日和賀郡藤根村ニ轉任セリ、后(後)任未定、彦部学校ニ書籍二、三面モ送ルトノコト申来リ候由、無償ノ方法アルモノトセバ可ナリ、
然ラスシテ手前ノ学資ノミニテ大金費消スル如キハ決シテナサゞルヲ要ス、
オルカンハ定メテ此内ニ実地ニ就キ□定申込ムナラン、寄付金百二十円計、内オルカン百□二十円、書籍□□ナルヨシ、
 

  【解説】「前略、病気の事も詳細の報により安心した。願うところは首尾よく卒業することが出来れば大慶である。

  この後の手紙の往復は、秘密の文書以外は葉書で通信する方がよい。キクヱに関する事柄は何分書かないようにせよ。私が留守中に届いた場合、耕次郎が開封し、キクヱと二人で読むことがあるからである。

  病中であるためで、普通と違い、家族も心配しているので、一刻も早くその安否を知ろうとしてとりあえず開封するのはやむを得ない次第である。

  試験の方は病気のため欠席したこと、勉強も出来なかったという理由を各教員方が承知しているものであろうか。果たして知っているものであれば、あるいは厳しさのなかにも援けがあるかもしれない。いかがなものであろうか。

  ○請求の紺がすり単衣、下衣等は、昨8日に書留小包で送付した。寝巻は地織木綿の在り合せで仕立方に着手したが、あまり粗末なので、下宿屋と違って、摂生室に送るには人目にもよくないので半途で見合わせた。

  夏休みの帰路の費用の金策に今から心配している。養生費の外はすべて節倹してほしい。

  耕次郎の件、紫波郡太田村(現矢巾町不動字太田)叔父(水本姓)から養子に申し越しがあるが、一考するに、キクヱを離縁し、後妻を貰い受けても百姓は出来ないだろう。われら以外農業に従事する者がないであろう。しからば誰をもって農事の監督をし、また学費をつくり、生活の途を立てることが出来るや。他人の三人も常時雇えば、給料100円以上を要し、それとても家族の者が交り農事に従事しなければ、到底完全に農事をすることが出来ない。これら夏休みの帰郷を待って相談し方針を確定することとしよう。余は後便に申し残す。大学の試験の模様はその都度知らせよ。

  (追伸)

  単衣上襦袢、昨8日午前11時差し立てた。急だったので忙しいため、母の単衣(1回着衣した物)をこしらえ、整え直した。品は本場物で上等であるけれども小形である。気に合わなかったなら、夏休みに交換しよう。

  (手紙の上部欄外にあり)

  星山学校でも図書館を計画中(彦部を模範としてとの紫波郡長の訓示による)、書籍がないため、せっかくの申し込みにより30部ばかり貸しておいた。

  星山の阿部校長は、□7日、和賀郡藤根村に転任した。後任は未定。彦部学校に書籍、2、300を送るとのこと申し来る由、無償であれば良いことである。

  しからずして手前の学資のみで、大金費消するのは決してしないようにせよ。

  オルガンは、定めてその内に実地に行って申し込むことであろう。寄付金120円ばかり。内オルガン百□二十円、書籍□□である由」という内容。

  この手紙は、ちょうど1年前のものである。目録作成の際に間違って1年後に分類したものらしい。

  明治41年6月の時点では、キクヱは、すでに離婚し、新堀村へ嫁いでいる。

(県歌人クラブ副会長兼事務局長)

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