2009年 4月 8日 (水)

       

■ 〈北斗英雄伝〉256 早坂ノボル 神命の章14

 明けて三月十三日。最初に動いたのは七戸彦三郎家国である。家国は兵五百を率いて五里ほど南下し、羽立館にいた津村伝右衛門を攻めた。

  この津村伝右衛門は、正月に三戸勢が宮野城攻めを引き起こすきっかけを作った当の張本人である。

  数日前からの不穏な動きは既に津村に伝えられており、また十一日の一戸開城の知らせも昨日のうちに早馬で届いていた。

  ある程度予期された事態だったとはいえ、津村はわずか四百石の小領主である。動員できる兵は、急場の時の俄(にわ)か侍を含めても、せいぜい百数十名のみに留まっていたから、守備は困難を極めるであろうと思われた。このため、津村は剣吉の北彦助(愛一)と八戸薩摩に向け、いざという時の救援を要請していた。

  津村は羽立館にて、その返事を待っていたが、真っ先に到着したのは、三戸八戸からの伝令ではなく、七戸家国の軍勢であった。

  七戸の軍勢は辺りに充満する霧の中から、突如として現れた。これを間近に見て、物見櫓の兵は転がり落ちるように櫓を駆け下り、主のいる本館に走った。

  この物見の報告を受けた津村伝右衛門は、少なからず動揺し叫んだ。

  「まだ剣吉からの知らせは来ぬのか!」

  もちろん、伝右衛門が切望しているのは、単なる知らせのみならず、具体的な援軍の姿である。

  「門を閉じ、守備を固めよ!」 

  その叫びに反応するように、塀の外から矢が飛び込んできた。

  タンタンと音を立て、矢が主館の壁に突き刺さる。

  「うぬ。問答無用で攻め掛かるつもりか」

  呟く伝右衛門の傍らに家来の一人が走り寄った。

  「お館さま。ざっと見たところ、敵は五百から六百にござります」

  布告無くいきなり攻めるのは、明らかに正月の一件で遺恨があることの現れである。

  伝右衛門は、自らの讒言(ざんげん)をきっかけとして三戸軍が宮野城を包囲するに至ったことを、家臣には伝えていなかった。

  これはいかん。たとえ抵抗を諦め降伏したところで、わしの存命はとても望めぬな。

  「敵はどうあっても我らを滅ぼすつもりである。皆の者。心して立ち向かえ」

  伝右衛門はそう命じたものの、四方を囲む館郭はただの形ばかりで、板塀だけが頼りの羽立館では、いずれにせよ時間の問題である。

  伝右衛門は意を決し、腹心を呼び寄せた。

  「ここは捨てることにする。直ちに板塀と四つの舘の総てに油を撒き、火を放て。火を放ったら、抜け道を出て伝法寺に向かうことにする。その隙に、剣吉と根城に再び早馬を送るのだ」

  すぐさま柴と油が四方に運ばれ、一斉に火の手が上がった。

  「よし。これでしばらくは近づけまい。直ちにこの城を脱するぞ。女や子ども、年寄り共は八幡神社に逃れるが良い」

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