2009年 4月 12日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉29 小川達雄 青春3

    三、続々・うまやの戸口

  賢治は、かがやくかれ草の丘のふもとで、うまやのなかのうすしめりに注目した。柘植先生がイチゴ畑にいた、高等農林の実際の場面では、「丘のふもと」といった大地の形状はなかったのであるが、ここでは、お日さまが大空に君臨する陽光の下で、いつのまにか、賢治は厩舎の中のうす暗さに目をひかれていた、というのである。
  またその歌をあげると、
 
  かゞやける
  かれ草丘のふもとにて
  うまやのなかのうすしめりかな 二三一
 
  これは明るい、ごくあっさりした作品にすぎないが、複眼的な目の配りというか、突き抜けるような明るさと対照的な、厩舎の中の「うすしめり」−薄暗がりの出現は、これは不可思議な世界が、遠慮がちながら不意に顔を出した、といってよいように思う。

  ほんとうに賢治は、〔ただもの〕でない。こんな、簡単なような歌でも、おや?と思わせるものを漂わせている。そこのところを、次の歌から探ってみよう。

  これも再度の引用になるが、
 
  ゆがみうつり
  馬のひとみにうるむかも
  五月の丘にひらくる戸口  二三二
 
  この丘に向かってひらけた戸口は、馬のまるい眼球に、ゆがんで映っている、それも馬のまなこの涙腺にうるおっているという。これは大きな二階建て厩舎の急激な縮小であるが、ここではとくに、対象の瞬間的な変化が語られていた。そうした変化のただなかの戸口は、まだ賢治自身も気づいてはいない、未知の世界を暗示していたと思われる。

  民話では、舌切り雀にせよ浦島太郎の亀にせよ、人間ならぬ生き物によって異次元の場所に導かれてゆくが、この場合、賢治は馬のひとみによって、うす暗い戸口の中に吸いよせられていく。こうした歌を読むと、賢治が童話の世界を縦横につむぎ出してくるのは、もう間もなくのこと、という思いがしてならない。

  今回はじっくり、盛岡高農での最初の歌を読んでみて、そのさりげない情景の中にも、急激な転換あるいは変化、といったモメントが含まれていることに気がついたが、賢治の内部に勢いを得てくるこの波は、やはり盛岡高農の生活の中で、しだいにかたちを成してくるものであった。地質学で学んだ岩石の驚くべき生成と変容の物語、化学の講座、実験でたしかめた物質変化の目のさめるような態様。

  高農生活の最初に示された「苺畑の柘植先生」二首の歌は、学校生活の喜びに満たされた作品であるが、そこには、後に続く賢治の変化と成長を示唆する面が、すでに顔をのぞかせていたと思う。

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