2009年 4月 15日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉120 伊藤幸子 「嘆きをこえて」

 職を得て心ほのぼのと土
  筆つむ吾の一生(ひとよ)
  に春来(きた)るらし
  高橋妙子

 
  一冊の歌集を読んで、その背景に慄然とすることがある。散文や小説と違い、こまやかな説明も状況描写もなく、三十一文字だけで独立した世界を構築し、読者の想像力に委ねられるため、時に十分意を汲めないこともある。

  北海道の高橋妙子さんの「星のことば」もそうだった。本の帯文の「三十代で夫を亡くし、三人の子を育てる中で、天上の星の輝きはやさしい励ましの言葉として著者の身と心を照らした」でも、まだ形が見えていなかった。

  ところが、ある方のこの本に対する解説文を読んで衝撃が走った。「輪禍は愛知県北設楽郡豊根村分地の佐久間ダムでおこった。金沢大学の名誉教授であった慶松光雄氏の告別式に参列して、海老名市の自宅へもどる途中のことである。慶松氏は夫君の山岳部の先輩。直木賞作家、高橋治の作品『名もなき道を』の吉松先生のモデルといわれている。水深約28メートルの地点から車は浮上した…。」

  歌集の中に「享年三十五歳に逝きし夫中途半端にわが愛されし」「十七年たちて黄ばみぬ夫逝きし輪禍伝ふる中日新聞」の作品がある。そこから、解説者Fさんは昭和51年7月10日の記事をさがしだしたのである。「数珠もなく喪服も持たず普段着の心乱れて夫を荼毘に付す」「児を背負ひ遺骨を抱き子を二人率ゐて都電に乗りたる記憶」のすさまじさ。

  実は先月、東京で高橋さんにも、解説を書かれたFさんにもお会いした。ずっと以前に本は頂いていたのに、Fさんの解説を読むまで、その実態を知らなかったのだ。

  はるかな時を経て彼女には「わがものとなるべき中古の白き家買ひもの帰りにまた仰ぎ過ぐ」というような安寧の日々も訪れた。「千メートル泳ぎて濡るる髪のまま仰ぐ栗の木花の匂へり」との自由な時間も得られて若々しい。かつて「我が裡(うち)は嘆きのあとの明るさと友言ひにけり言ひ当てにけり」と詠まれたが、嘆きを越えて今ははつらつと、成人した子供さんたちのところへ一生の春を届けておられるようだ。



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