2009年 4月 18日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉30 小川達雄 青春4

    一、独乙冠詞のうた

  盛岡高農での賢治の歌は、まず先生への敬意から始まっていたので、さらに、それと縁のある作品をあげておきたい。賢治のその気持ちが語られたのは、次の歌と並ぶ、文語詩未定稿の中でのことである。その歌と文語詩とをあげておこう。
 
  ◎見本園の夕暮
  しめやかに
  木の芽ほごるゝたそがれに
  独乙冠詞のうた嘆きくる  二三八
 
   樹園
  髪白き山田博士が
  書いだき帰り往くころ
  かはたれはしづに這(ハ)ひ来て
  ふくよかに木の芽ほごるゝ
  鳥飛びて気圧を高み
  守衛長〔以下未完〕
  ぎごちなき独乙冠詞を
  青々となげく窓あり
 
  「◎見本園の夕暮」というのは、その歌の右肩に賢治が赤で記していた語句であって、「見本園」とは、寄宿舎の窓から見える林木園のことである。時は五月、窓からは林の奥のアメリカトネリコの大木をはじめ、カツラ、ユリノキ、サワグルミ等の木々の芽が、いっせいにふくらみ出していた。「木の芽ほごるゝ」とは、なんともやさしい、ちいさな葉脈のいのちそのままの表現である。

  わたしは林科の学生の時、賢治の頃の造林学担当・武藤益蔵教授から、林木園のハルニレとヒメクルミについて、年間通しての観察を割り当てられたが、五月のたそがれ(かはたれ)の時には、たしかに木々の樹液がうごいているような、充たされた静けさがあったと思う。

  寄宿舎からは正門とその脇の門番所が左手に見えて、守衛の出入りを目にすることがあった。「守衛長」というのは、これは賢治からの敬称であろうが、その正門までの道を、山田玄太郎教授が歩いてゆく。山田教授は植物と植物病理の担当で、賢治は週二時間ずつ、その講義を受けていた。

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