2009年 4月 25日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉105 岡澤敏男 楠ジョントイフ犬

 ■楠ジョントイフ犬

  賢治が小学校時代に父の用事で回覧をとどけに上町を通ったとき「杉本にぶち犬をけしかけられ恐ろしかった」と綴方に書き、高農時代に「小学校へ入学する日に途中で大きな犬がいて恐ろしかった。明日もまたあの犬が居るのではないと思ったら、不安で眠れなかった」と自啓寮で同室だつた中嶋信に述懐している。このように賢治が犬を恐れる感情は幼児体験にもとづく心理的外傷によるものだったとみられます。

  賢治作品のなかで端的に犬の怖さを訴えているのは「犬」(『春と修羅』)という詩で「犬の中の狼のキメラがこはい」と述べている。また童話「注文の多い料理店」の〈白熊のやうな犬〉や「真空溶媒」(『春と修羅』)や〈馬ぐらいあるまつ白な犬〉にはボルゾイのような大型犬への恐れと成金紳士に対する負の視点がみられる。

  ところが童話「イギリス海岸」の犬は〈もぢゃもぢゃした〉した毛並みの〈ロバートとでも名の付きさうな〉〈最上等の外国犬〉と好意的な視線を向けているのです。そして〈一目散に走って来た〉ことから猟犬と連想され、毛並みの〈もぢゃもぢゃ〉からセッター種と推察されるのです。童話「なめとこ山の熊」の犬も好意的な視点で登場している。

  それは猟師小十郎の愛犬で〈たくましい黄いろな犬〉と紹介している。とくに毛色を〈黄いろな犬〉としたのは、色彩感の鋭い賢治のことだから、ある意識のもとに選んだ毛色だったに違いない。それは黄色系の毛色に強い親和力をもっていたということで、すなわち賢治は「黄色系の犬」には犬への恐怖心から開放される心象をもっていたというわけです。

  この心象とは前回述べとおり中学2年9月に小岩井農場で出会った逸事に起因するものと思われる。

  それは岩手登山の帰りに網張街道を下り小岩井農場を横断したときのことです。楠医師の住む医院(医局)の前で仔犬(楠ジョン)が敬愛する先生からパンをもらって尻尾をふる情景に魅了され、心に閉ざしていた犬嫌いの扉を開いたのでした。

  晩年の自筆略年譜にメモした〈小岩井農場、楠ジョン、青柳先生、パンを食みくる〉との記述は、ジョンとの出会いが忘れ得ない逸事だったことの証左です。

  この楠ジョンが「黄色い犬」の原形だったのではないかとの思いから、東京在住の楠医師の子息正夫さんに問合せたところ、平成9年2月10日に次のような返信が届きました。

  「お手紙の内容の楠ジョンとの事、確かにおりました。私が小学二年のころ家中が何かの記念写真をとる時、ちょこちょこ走って来て写真の中に入りましたことを、確かに記憶に残っております。名前をジョンと呼び、耳の垂れた毛の長い茶色の確かセッターの雑種と思います。この写真をお送りしようと一生懸命さがしましたが、何回も引っ越したのでどこへやったかなかなかみつかりません。とりあえずジョンという名の犬がいたことは確かですのでご報告いたします」

  楠ジョンはたしかにセッターの雑種で「毛の長い茶色」の犬でした。しかし虹の色帯(スペクトル)は、赤↓青への連続的な変化をみせその中に黄色↓茶色も現れてくるから、楠ジョンと小十郎の「黄いろな犬」の毛色は賢治の心象には同一視される毛色だったとしても不思議はないのです。

  だが見落としてならないことは、この心象に〈青柳先生〉の存在が大きく絡んでいることなのです。

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