2009年 4月 26日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉33 小川達雄 青春7

   二、続・関豊太郎と標本室

  わたしの大切にしている本に、『石っこ賢さんと盛岡高等農林−偉大な風景画家宮沢賢治−』(地方公論社)がある。著者は岩手大学教授・井上克弘氏で、その一冊には、賢治の採取したさまざまな岩石標本や各種調査の内容等々、賢治が盛岡高農で学び得た地質・土壌関係の全容が、豊富な資料とともに記されていた。

  この一冊の示唆するところは大きいが、岩石・鉱物の標本に関しても、井上氏は賢治と関教授との会話を想定して、その間に「関も賢治の非凡な才能を見出したに違いない」といった。

  そもそも、当時の標本陳列所に置かれた標本類は、関教授が収集、整理した品々である。教授は東大でオスカー・ケルネル博士に学んだ縁によってライプチヒ大学に留学し、「鉱物鑑定法」と「造岩的構造に対する顕微鏡的検査」について研究したという。教授がそのドイツ留学中に購入したのがクランツ社製の標本で、わが国地質学研究の基礎を築いたナウマン博士が、明治十年、東京大学初の地質学講座を担当した時に揃えたのも、この社一千種の標本であった。関教授は、標本陳列所に置かれた標本にはなみなみならぬ愛着があり、入学後間もなく訪れた賢治の質問には、打てば響くように応じたことと思われる。

  −「先生、標本を見せてください」
  「ああ、宮沢君かね。いいよ、君は岩石 や鉱物が好きなようだね」
  「ええ、大好きです」
  「どんな石が好きかね」
  「リパライト(流紋岩)、サーペンチン
  (蛇紋岩)、玉髄(ギヨクズイ)、オパ
  ールなんかいいですね。それに瑪瑙(メ
  ノウ)や琥珀(コハク)も好きです」−

  井上氏は、関教授と賢治との応答をこう想定したが、なによりも賢治は、岩石が心底から好きであったということ。関教授は賢治と話をしているうちに、賢治はたんに岩石に関心のある生徒、ということではなく、その生成・凝結のなかにひそむ法則をさぐる、一個の探求者の素質に気づいたのではなかろうか。

  そうでなければ、盛岡高農に着任してからほぼ十年になろうとする教授が、この大正四年春になって、にわかにその論文(「普通岩石の肉眼的識別に就いて」)の執筆を思い立つわけがない。

  井上氏は、両者の出会いについて、その著の「あとがき」にこう記す。

  「『グスコーブドリの伝記』に登場する
  『クーボー大博士』のモデルとなった地
  質及土壌学教室の初代教授関豊太郎は、
  当時の農学界を代表する著名な土壌学者
  であった。この二人が盛岡高等農林学校
  で出会ったことは決して偶然ではないよ
  うに思える。もし盛岡高等農林学校に入
  学していなければ、賢治は研磨されない
  宝石の原石として土の中に埋まったまま
  であったかも知れない。」

  これはそのとおり、とつくづく思う。

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