2009年 4月 29日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉122 伊藤幸子 「上杉節」

 射抜かれし藩主の兜目に残る甲冑展を出でくれば雨
  横尾貞吉

 「天の時、地の利に叶い、人の和ともに整いたる大将というは、和漢両朝上古にだも聞こえず。…」『北越軍談 謙信公語類』をエピグラフとして掲げ、火坂雅志著「天地人」が上梓されたのは昨年11月。上中下3巻初版でわたしも発売と同時に読んだ。

  そして1月から放送中のNHK大河ドラマ「天地人」では主人公直江兼続の子役、与六の「わたしは こんなとこ来とうはなかった!」の名演技が茶の間の話題をさらった。今や中盤に差し掛かり、上杉軍団も米沢に移封も近いかと思われる。

  謙信、米沢を語れば血が騒ぐ。雪国の暮らしでも特筆すべき「五六豪雪」と記録に残る昭和56年から12年間、米沢市に住んだ。それまで雪とは無縁の太平洋岸の町から転勤し、子供たちの雪靴を3足買ったら1万円で足が出たという哀しい笑い話を思い出す。

  でも、質実剛健、「興譲」の精神は子育てには実に良い土地柄だった。自宅から近い上杉神社には、謙信公の像と共に「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」と刻まれた上杉鷹山(治憲)公の石碑があり、子弟養育の鑑とされていた。

  掲出の歌は、山形市の中学校の校長先生だった方。82歳で平成15年鬼籍に入られた。4人の男性兄弟全員が歌人で、すぐ上の錦三郎さんは「空を飛ぶクモ」ほか蜘蛛の研究でも有名な方だった。「持てる力乏しくなれど体育の指導者なれば逆立ちも見す」「『戦友』を十四番まで唄ひ終へ山の湯宿の戦友会閉づ」歌会でお会いする度、古武士のような雰囲気でピシッと背筋の通った剣の道も極められた方だった。

  米沢は、ゴールデンウイークは上杉祭で賑わうがことしは「天地人」効果で早くも全国から人が押し寄せているという。わたしはかの地を離れてもう15年以上もたつが、今でも「これぞ天下の上杉節」が口をつく。「毘沙門天の旗じるし われに勝利をたれ給え のろしは上る春日山 謙信出陣武締式」に始まり、川中島、信玄の死、関ケ原、と歌いあげ、上杉文化のいやさかを祈るものである。音痴のわたしは唯一のおはこ、上杉節五番までの絵巻は何よりの財産となっている。


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