2009年 7月 1日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉134 伊藤幸子 「紅花の里」

 毎日をぶじに生くるが当然の戦無き世に人びと暗し
  遠藤綺一郎
 
  米沢を離れて17年になる。花輪線、東北本線、奥羽本線と乗り継ぐ距離感、山形新幹線の開通はまだで、特急つばさが走っていた。山形は何といっても、斎藤茂吉の牙城、歌碑もいっぱいあり、アララギ派の歌人が多かった。

  そんな中で、市主催の古典講座がもたれることになった。専業主婦だった私も参加、講師は米沢短大の遠藤綺一郎先生。「徒然草」を教わった。また茂吉の作品と、スライドも見せて頂き、そこに行くのが楽しかった。

  その折、先生がよく窪田空穂のことを話されたが、まさか空穂、章一郎門流の歌誌「まひる野」同人でいらしたとは全く知らなかった。帰郷後は年賀状だけのおつきあいがずっと。間に、喪中のお葉書もあったりしたが、互いに年賀の賀詞と歌を添えて大切に詠み続けてきた。

  それが、五月の詩歌文学館賞の授賞式のあと、橋本喜典先生より「まひる野」6月号を頂き、ページを繰っているうちになつかしいお名前を拝見し、わが目を疑った。「散りぢりになる感傷も遠のきぬ元教師わが弥生三月」「空襲の心配なしに就寝し朝の目ざめを疑はぬ日々」そして「異変には遭はじと決めて出しやれど常に一抹不安を懐く」の心情。常に身辺にあふれる天災人災をきわどくかわしながら「ぶじに生くるが当然」のように思い暮らす日常をかえりみる。戦争をくぐり抜けてきた目にいくさ無き世の不気味な暗さを見すえて心に響く。

  月日の過ぎる早さ、先生も古稀は越えられたろうか。猛吹雪の日、講義終了後同方向へ帰るのに、車に同乗を無下に断り、目もあけられない雪道を歩いたことなど、今かがり火のように思い出す。同好の士が二人寄れば歌会ができたのに、何と無駄に時を費やしていたことか。

  ことしの賀状には「にこにこと黙って家族の話をば見て居りたりし耳しひの祖母」の歌に添え、「遺伝でしょう、耳は遠くなりました」とある。一別以来二十年近く、お会いしてももうお忘れになられたかもしれない。「まひる野」の歌人の皆さんは、よく長歌を作られる。私も今宵はなんだか心弾み、紅花の里、桜桃の町を詠みこんで熱いリズムに酔ってみたくなった。


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