2009年 7月 2日 (木)

       

■ 〈保阪嘉内の担架〉33 望月善次 大空の象牙細工に

 大空の象牙細工にうかぶ雲、まつたく
  わが身のおきどころなし
 
  〔現代語訳〕大空にある象牙細工のように浮かんでいる雲よ。(その圧倒的なまでの素晴らしさに)、本当に自分の置き所がないように思うのです。

  〔評釈〕「大空がまったく晴れておそろしや」三十二首〔『アザリア』第二輯(盛岡高等農林学校アザリア会、大正六年七月十八日)〕の六首目。空に浮かぶ雲を「象牙細工」に譬(たと)え、その素晴らしさの前には、自分自身など何物でもないことを痛感したことを作品としたもの。「象牙細工」は、言うまでもなく象牙による細工物。具体的にはどうした「象牙細工」を想像したのかは特定できないが、美術品となるいわゆる「象牙彫(牙彫)」などを考えたのであろうか。いずれにしても、この場合の「象牙細工」は、プラスの象徴であり、その象徴たる象牙細工に喩(たと)えられる「雲」に対し、わが身が小さく感じられるというもの。そのわが身の卑小さを「おきどころなし」としたところも興味深い。「置きどころなし」は、既に古典の時代から用いられているもので、例えば『古今和歌集』にも「たのめこし事のは今は返してむわが身ふるればおきどころなし」〔巻十四、736、藤原よるか〕の一首がある。
  (盛岡大学長)


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