2009年 7月 11日 (土)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉37 望月善次 集まれる人草叢の

 集まれる草叢(くさむら)のくさはみ
  んな青、されどもこれは空に向へり
 
  〔現代語訳〕(青空の下に)集まっている草叢の草も青色です。ああ、しかしこれ等の草は、(只同じ「青」だというのではなく、青い)空に向っているのです。

  〔評釈〕「大空がまったく晴れておそろしや」三十二首〔『アザリア』第二輯(盛岡高等農林学校アザリア会、大正六年七月十八日)〕の十首目。今まで「空」に向っていた話者の視線は、一転して周囲の草むら(叢)に転ずる。「青」は、わが国においては幅の広い色。もともとは、「黒から白の間」の広い範囲の色を指すという。若山牧水の著名歌「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」等にいう「空や海」の青から、草などの青、また「赤信号みんなで渡れば怖くない」の「信号の青」等を挙げることができよう。こうした「青」の幅広さを指摘するまでもなく、抽出歌における「草むら」の青は、冒頭から対象としてきた「空の青」とは異なるものだというのが、評者の見解。しかし、こうした、「空の青」と「草むらの青」とが異なるという実際の現象とは離れて、あたかも、同じ「青」という表現の中に作品化できるところが、〈言葉や文学が持つ妙〉というべきものだろう。
  (盛岡大学長)

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