七、新続・沼森の夕暮
さてこれからあとは、賢治の「沼森」の文の最後である。
これは前からの続きで、賢治と沼森との問答の次には、すぐ、わかりにくくなってしまう。しかし、とにかく読んでみよう。
「なぜさうこっちをにらむのだ、うしろ
から。
何も悪いことしないぢゃないか。まだ
にらむのか、勝手にしろ。
柏はざらざら雲の波、早くも黄びかり
うすあかり、その丘のいかりはわれも知
りたれどさあらぬさまに草むしり行く、
もう夕方だ、はて、この沼はまさか地図
にもある筈だ。もしなかったら大へんぞ。
全く別の世界だぞ、
気を落ちつけて(黄のひかり)あるあ
る、あるには有るがあの泥炭をつくった
やつの甥か孫だぞ、黄のひかりうすあか
り鳴れ鳴れかしは。」
最初は、沼森と賢治のケンカである。賢治は沼森をすっかり人間扱いにして、勝手にしろ、と云った。もう知らんふりして、草をむしって歩いていた。
ここのところ、それは歌になっていたから、賢治は沼森相手に、ポンポン云ったことが気持ちよかったのかもしれない。
と、その時、賢治は小さな沼を見て驚く。
(これがもし地図になかったら、オレは
不思議な世界にいるのだぞ)
夕暮れの光に、気を落ちつけて地図を見ると、あったあった、小さな沼が、ポチッと記されていた。しかし目の前の沼はなんとも浅く、晴天が続いたら消えてしまうのかもしれない。
(これは泥炭が出来たむかしの大きな沼
の縁続き、甥か孫のようなものだぞ)
沼森が生きた相手なら、いま見ている沼も、むかしの沼とは甥、孫といった仲間どうし、ここはむかしからみんな、生きている仲間たちの大自然である。
そこで賢治は よろこんで声をあげた。
「黄のひかりうすあかり鳴れ鳴れかしは」
これは柏の葉に呼びかけた、天地賛唱の声であるが、そこには、熱心な地質調査をしていた、賢治の素顔が出ていたのではないかと思う。
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