2009年 7月 26日 (日)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉118 岡澤敏男 「もう入口だ」

 ■もう入口だ〔小岩井農場〕

  長篇詩「小岩井農場」パート三は、ふしぎな情緒に満ちたつぎの詩章で始まっている。
 
  もう入口だ〔小岩井農場〕
   (ふんいつものとほり
  だ)
  混んだ野ばらやあけびの
  やぶ
  〔もの売りきのことりお
  断り申し候〕
   (いつものとほりだ 
  ぢき医院もある)
  〔禁猟区〕 ふん いつも
  のとほりだ
  小さな沢と青い木だち
  沢では水が暗くそして鈍つてゐる
 
  現在ではもう周知されていることだが、農場の入口が網張街道の一角にあったころの情景で、「小さな沢」こそがチョッキのポケットから時計を出してウサギが飛び込んだ〈アリスのウサギ穴〉だったのです。そして入口周辺の風物が現在も大正時代の時を刻みつづけていると発見したのは平成4年5月のことでした。

  平成3年(1991年)に小岩井農場が創業100周年記念に開館した展示資料館で、館長の私が直面したのは各地から訪れる賢治フアンへの対応でした。

  なかでも東京のYさん、秋田のSさんという二人の女性は長篇詩「小岩井農場」に関心をもっておられ、小岩井駅からどの道をたどって小岩井農場の入口に達したのか質問されたのです。

  当時は小岩井駅から西にコースをとり越前堰橋を渡り小岩井新道(現在の県道網張温泉線)を経由して小岩井農場本部(管理部)へ通う道が「小岩井農場入口」だと誰もが考えていたのでした。

  Y、Sさんが投じた難問をかかえて農場の古老にあたったり、明治期の農場最古の耕地図を参照したりしたがいずれも藪の中でした。たまたま資料館にあった大正13年現在とある「小岩井農場一覧」の裏面「小岩井農場略図」を注視したとき、駅から網張街道を経由し本部に達する小道に気がついたのです。

  翌年の平成4年5月21日に東京から訪れたYさんに事情を説明し、Yさんと初めてこの小道を歩いてみたのです。

  長篇詩「小岩井農場」を片手に小岩井駅前の小道に入り、パート二にみられる網張街道への「まがり目」を左折し大清水通りを直進して行きました。「まがり目」から北へ約1`bほど歩くと「獣猟禁止区域」の標識が斜めに倒れていて、その先に小さな沢が見えたのです。

  しかもその沢の周辺には〈混んだ野ばらやアケビのやぶ〉があるのではないか。Yさんは声を弾ませて〈小さな沢と青い木だち〉がある、〈沢では水が暗く鈍つてゐる〉と感嘆しました。

  たしかに賢治が大正11年(1922年)5月21日にスケッチしたそのまんまの情景が70年経った今日、ほとんど変化もなく息づいていたのです。この場所がきっと「小岩井農場の入口」に違いないとYさんと二人で確信しました。

  その後、明治43年ころの「小岩井週報」(週刊農場内報)に掲載された別添の漫画がみつかり、これにより農場入口には「小岩井農場」という大きな四角いポールが建っていたことも分りました。そして100bほど先に「医院(医局)」の建物が描かれていることから、この場所が長篇詩の「小岩井農場入口」であることが追認されたのです。

  そして5月21日を「賢治の日」と勝手に決め、毎年この道を歩くことにしました。今年でもう18回を重ねています。

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