2009年 9月 1日 (火)

       

■ 〈風のささやき〉8 重石晃子 クラス会

     
   
     
  今年も高校時代のクラス会があった。「今年も」と書いたが、私たちのクラスは、毎年幹事の都合の良い日に会を開くことになっている。

  今年のクラス会は、花巻の渡り温泉であった。終戦の翌年、昭和21年に盛岡高等女学校に入学し、戦後の学制改革を経て、新制高校1回生として卒業した私たち。同じ校舎に6年通学し、5クラス・250人ほどいた同学年の人たちとも、皆仲良しである。

  現在、中高一貫教育の是非が問われているが、私は6年間の一貫教育大賛成組である。これ程気心の知れた友人が沢山出来る素晴らしい話はない。「時代が違うよ」だれかに横目でにらまれそうだが、それほどにまとまっている学年だった。

  クラス会の出席者たちは「今年も元気だったよ」と肩をたたき合う。健康に恵まれ、時間的にも経済的にも許される、幸せな人たちの笑顔である。

  でも長い人生の間には、夫に先立たれたり、離婚したりとつらい事はいろいろあったはずである。それにそろそろ耐用年数が来ていることは自覚している。しかし泣き言は一切なしの楽しい会ではある。

  孫の居るおばあちゃんになったとはいえ、高校時代にダンス部だった人たちは今も見事に踊る。人生70年の間に身に着けたそれぞれの芸を、臆せず披露し舞台は退屈することはない。

  そして昔話にも花が咲く。「朝ちゃんはどうしたかしら」北朝鮮を母国とする朝ちゃんは、長男を医者として母国に送ったと云う。しかし、何時も飢えてはいないか、と心配し続けていた。朝ちゃん病気欠席と聞いて心配になる。

  私自身の体験で言えば、フランスに居て日本の悪口をいわれるのは、ひどく嫌な気がした。でももう一度日本文化を見直したいという気にもなった。彼女は今、東京で四面楚歌の中に居るかも知れない。むかし、隣の席に座っていた朝ちゃんの笑顔が健在であるように、祈らずには居られない。

  幹事は大声で言った「最後に、皆で盛岡おんどを踊りましょう。輪になってください。また来年も元気で逢いましょう」盛岡おんどはいつまでも続いた。

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