2009年 9月 1日 (火)

       

■ 〈夜空に夢見る星めぐり〉239 八木淳一郎 望遠鏡の歩み(その1)

 オランダの眼鏡師リッペレイが1608年に望遠鏡の特許を出願しました。しかし、本当の発明者が定かではないことや、すでに望遠鏡が公共の知的財産になっていたなどの理由から申請は却下されたのでした。こうした望遠鏡の話がイタリアのガリレオに伝わると、1609年、ガリレオは試行錯誤の上ついに自分で口径42_のものを作り上げました。そしてレンズを星空に向けて数々の発見をしたのでした。このガリレオ式と呼ばれる接眼レンズに凹レンズを用いた望遠鏡は、視野が狭くて像が暗く、高い倍率も出せない、といったたくさんの欠点を持っていました。これに対してドイツのケプラーは、接眼レンズに凸レンズを用いた優れた光学性能のケプラー式望遠鏡を1611年に発明しました。今日では、屈折望遠鏡と呼ばれるものはこのケプラー式を指すほどになっています。一方ガリレオ式のものは、今ではオペラグラスやドアに付いている防犯用の小さなのぞき窓に応用されているに過ぎません。

  そのケプラー式望遠鏡も、屈折望遠鏡の最大の欠点である像の周りに赤や青の色が付いて像が不鮮明になる「色収差」というものに悩まされます。1673年、ポーランドのへべリウスは色収差を克服するために焦点距離を極端に長くした「空気望遠鏡」という長大な望遠鏡をつくりました。しかしこんな大がかりなものは使い勝手がいいはずもなく、普及には至りませんでした。そうした中、1668年にイギリスのニュートンが反射望遠鏡を発明します。口径はわずか50・8_という小さなものでしたが、まいた種はその後大きな実を結ぶことになります。ニュートンはプリズムによる光の研究を通して、屈折望遠鏡は色収差の呪縛から逃れられないと結論し、色収差の全くない光学形式の考案に着手した結果、ミラーを使った反射望遠鏡というものを生み出したのです。

  もちろん屈折望遠鏡もだまって朽ち果てるわけには参りません。さまざまな改良が加えられていきます。その最大の問題は言うまでもなく色収差をいかに小さくするかです。1729年、イギリスの法律家でアマチュア天文家のホールによってついに色消しレンズというものが発明されます。法律が専門のホールは特許を取得する気はさらさらなく、そのままにしていました。この話を伝え聞いた同じイギリスのドロンド商会は他のルートを介して色消しレンズの製作法を入手し特許を手にします。このことの是非はともかく、少なくともこれによって小型色消し屈折望遠鏡が量産され、望遠鏡と天体観測が普及することになったのでした。その1台が盛岡の公共施設にもあります。

  近々、盛岡市子ども科学館では盛岡天文同好会などの協力を得て、望遠鏡の歴史を紹介する催しを企画しております。貴重な展示物もありますのでこの機会をお見逃しなく。
(盛岡天文同好会会員)

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