2009年 9月 3日 (木)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉58 望月善次 木戸をしめぬ一軒の家

 木戸をしめぬ一軒の家のともしびは、
  不心得にも道にながれたり、
 
  〔現代語訳〕木戸を閉めていない一軒の家の灯は、不心得にも道に流れているのです。

  〔評釈〕「大空がまったく晴れておそろしや」三十二首〔『アザリア』第二輯(盛岡高等農林学校アザリア会、大正六年七月十八日)〕の三十一首目。「馬鹿旅行」を題材とした末尾五首中の四首目。「木戸をしめぬ一軒の家」の存在は、一首前に置かれた「しっとりと濡れた街路に向ふ家、たいがい木戸をしめてあるかな」の「たいがい」に意味を持たせることにもなる。しかし、細かいことを言えば、「木戸」は、「庭園や通路の入口などに設けた屋根のない開き戸の門。」〔『広辞苑』〕だから、それが開いていることが、ただちに「灯が漏れる」ことには結びつかない。この家の場合は、たまたまそれが一致していて、その事実を話者としては「不心得」(心がけの悪いこと)〔『広辞苑』〕とマイナス的ニュアンスの強い言葉で評価し、作品としての特徴にもしたのである。ただし、「不心得」を話者の評価語とせずに「ともしびvsながれたり」の「結合比喩(ゆ)」によるものだとすることも、もちろん、可能である。
  (盛岡大学学長)

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