2009年 9月 5日 (土)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉59 望月善次 街のうえの三尺ばかり

  街のうえの三尺ばかり切った空、これ
  も沈殿の黒雲に濡る
 
  〔現代語訳〕街の上の三尺ばかりを切った空は、これも沈んだ黒雲に濡れています。

  〔評釈〕「大空がまったく晴れておそろしや」三十二首〔『アザリア』第二輯(盛岡高等農林学校アザリア会、大正六年七月十八日)〕の最終歌で、「馬鹿旅行」を題材とした末尾五首中の最後の作品でもある。沈んだ空は、二十九首目の作品にも「沈殿の空より降るは霧の雨、(まったくぬれしアーク燈かも)」とあったから、霧雨の降る曇った空に対応するものであったことは言えよう。「沈殿」は、「特に化学では、反応生成物や溶質が細粒状・綿状になどとなって溶液中に現れる現象。」〔『広辞苑』〕だそうだが、こうした語彙(ごい)が自然と出てくるところは、後に「農芸化学」となる「農学科第二部」の学生らしいところだとも言えようか。街の上に広がる「空」をどう描写するかにも話者の姿勢は、現れるものだが、抽出歌で言えば「三尺ばかり切った空」の表現にそれが表されていると見た。また「ばかり」という砕けた語彙選択も、「平凡」を越えたいことの嘉内的戦略の一つなのだと見た。
(盛岡大学学長)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします